無名抄 ====== 第5話 晴歌可見合人事 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 晴歌可見合人事 ** 晴の歌は必ず人に見せ合はすべきなり。我心一つにて、誤りあるべし。 予、そのかみ、高松の女院の北面(きたおもて)に菊合といふこと侍りしとき、恋の歌に、   人知れぬ涙の河の瀬を早みくづれにけりな人目つつみは と詠めりしを、いまだ晴の歌など詠み慣れぬほどにて、勝命入道に見せ合はせ侍りしかば、「この歌、大きなる難あり。御門・后の隠れ給ふをば『崩ず』といふ。その文字をば『くづる』と読むなり。いかでか院中にて詠まん歌に、この言葉据うべき」と申し侍りしかば、あらぬ歌を出だしてやみにき。 その後、ほどなく女院隠れおはしましにき。この歌のさとしとぞ、沙汰せられ侍らまし。 ===== 翻刻 ===== 晴哥可見合人事 はれの哥はかならす人にみせあはすへきなり我心ひ/e7r とつにてあやまりあるへし予そのかみたかまつの 女院のきたおもてにきくあはせと云こと侍しとき 恋の哥に 人しれぬなみたの河のせをはやみ くつれにけりな人めつつみは とよめりしをいまたはれの哥なとよみなれぬほと にて勝命入道にみせあはせ侍しかは此哥おほき なる難ありみかときさきのかくれ給をは崩すと いふその文字をはくつるとよむなりいかてか院中 にてよまん哥にこのことはすうへきと申侍しかは/e7l あらぬ哥をいたしてやみにきそののちほとなく 女院かくれをはしましにき此哥のさとしとそ さたせられ侍らまし/e8r