無名抄 ====== 第3話 隔海路論====== ===== 校訂本文 ===== ** 隔海路論 ** ある所にて哥合し侍し時、「海路を隔つる恋」といふ題に(歌は忘れたり((この部分、割注になっている)))、筑紫なる人の恋ひしきよしを詠めりしに、かたへはこれを難ず。 「更なり。筑紫は海を隔てたれば、思ひ続くるにはあることなれど、徒歩(かち)より行く人のためには、門司の沖まで多くの山野を過ぎて、ただいささか海を渡るべければ、題の本意(ほい)もなく、すこぶる荒涼なる方もあり。たとへば、みちの国なる人を恋ふるよしを詠みては 、この歌一つにて、野を隔つる恋にも、山を隔つる題にも、もしは、里を隔て、河を隔てつるにも用ゐんとやする。題の歌は、「さも」と聞こゆるこそ良けれ。あまりざびろなり」と難ず。 或は云ふ。「歌はさのみこそ詠め。まさしく海をだに隔てては、必ず彼の磯なる人をこの海まで見渡すべきことかは。あまりの難なり」と争ひあへりしを、その座に先達あまた侍りしも、方々(かたがた)分かれて、大きなる論にてなん侍りし。 されど、心にくきほどの人多くは、「難をば、今少し言はれたり」とぞ定め侍りし。 ===== 翻刻 ===== 隔海路論 或所にて哥合し侍し時海路をへたつる恋といふ 題に(哥はわすれたり)つくしなる人のこひしきよしをよめ りしにかたへはこれを難すさらなりつくしは 海をへたてたれはおもひつつくるにはあることなれと/e5l かちよりゆく人のためにはもしのをきまておほく の山野をすきてたたいささか海をわたるへけ れは題のほいもなくすこふる広涼なる方もあり たとへはみちの国なる人をこふるよしをよみては この哥ひとつにて野をへたつる恋にも山をへたつ る題にももしは里をへたて河をへたつるにも もちゐんとやする題の哥はさもときこゆるこそ よけれあまりさひろ也と難す或は云哥はさのみ こそよめまさしく海をたにへたててはかならす かのいそなる人をこのうみまてみわたすへきこ/e6r とかはあまりの難なりとあらそひあへりしをその 座に先達あまた侍しもかたかたわかれておほきなる 論にてなん侍しされと心にくきほとの人おほくは 難をは今すこしいはれたりとそ定侍し/e6l