無名抄 ====== 第1話 題心 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 題心 ** 歌は題の心をよく心得べきなり。俊頼の髄脳といふ物にぞ記して侍るめる。 必ずまはして詠むべき文字、中々まはしては悪く聞こゆる文字あり。 必ずしも詠み据ゑねども、おのづから知らるる文字もあり。いはゆる暁天落花・雲間郭公・海上名月、これらのごとくは、第二の文字、必ずしも詠まず。みな下(しも)の題を詠むに具して聞こゆる文字あり。 これらは教へ習ふべき事にあらず。よく心得つれば、その題を見るにあらはなり。 また、題の歌は必ず心ざしを深く詠むべし。たとへば、祝ひには限りなく久しき心を言ひ、恋にはわりなく浅からぬよしを詠み、若しは命に代へて花を惜しみ。家路を忘れて紅葉を尋ねんごとく、その物に心ざを深く詠むべきを、古集の歌どもの、さしも見えぬは、歌ざまのよろしきによりて、その難を許せるなり。 もろもろの難ある歌、この会尺によりて撰び入るる、常のことなり。されど、かれをば例とすべからず。いかにも歌合などに、同じほどなるにとりては、今少し題を深く思へるを勝ると定むなり。たとへば、説法する人の、その仏に向ひてよく讃嘆するがごとし。 ただし、「題をば必ずもてなすへきぞ」とて、古く詠まぬほどの事をば心すべし。たとへば、郭公などは、山野を尋ね歩(あり)きて聞く心を詠む。鶯ごとくは、まづ心をば詠めども、尋ねて聞くよしはいと詠まず。また、鹿の音などは、聞くに物心細く、あはれなるよしをば詠めども、待つよしをばいとも言はず。かやうの事、ことなる秀句など無くば、必ず去るべし。また、桜をば尋ぬれど、柳をば尋ねず。初雪などをば待たず。「花をば命に代へて惜しむ」など言へども、紅葉をばさほどには惜しまず。これらを心得ぬは、故実を知らぬやうなれば、よくよく左歌などをも思ひときて、歌のほどに随ひ、はからふべきことなり。 ===== 翻刻 ===== 題心 謌は題の心をよく心うへきなり俊頼の髄脳 といふ物にそしるして侍めるかならすまわして よむへき文字中々まはしてはわろくきこ ゆる文字ありかならすしもよみすへねと もおのつからしらるる文字もありいはゆる 暁天落花雲間郭公海上名月これらのこと くは第二の文字かならすしもよますみなし もの題をよむに具してきこゆる文字あり/e2r これらはをしへならふへき事にあらすよく 心得つれはその題をみるにあらはなり又題の哥は かならす心さしをふかくよむへしたとへはいは ひにはかきりなくひさしき心をいひ恋には わりなくあさからぬよしをよみもしは命に かへて花をおしみいへちをわすれてもみちを たつねんことくその物に心さしをふかくよむへ きを古集の哥とものさしも見えぬは哥/e2l さまのよろしきによりてその難をゆるせる也 もろもろの難ある哥此会尺によりてゑらひいるる つねのこと也されとかれをは例とすへからすいかにも 哥合なとにをなしほとなるにとりては今すこ し題をふかくおもへるをまさると定也たとへは 説法する人のその仏にむかひてよく讃嘆す るかことしたたし題をはかならすもてなすへき そとてふるくよまぬほとの事をは心すへし/e3r たとへは郭公なとは山野をたつねありきてきく 心をよむ鶯ことくはまつ心をはよめともたつねて きくよしはいとよます又鹿のねなとは聞に 物心ほそくあはれなるよしをはよめともまつ よしをはいともいはすか様の事ことなる秀句 なとなくはかならすさるへし又桜をはたつぬれと 柳をはたつねす初雪なとをはまたす花をは命 にかへてをしむなといへとも紅葉をはさほとには/e3l をしますこれらを心えぬは故実をしらぬやう なれはよくよく左哥なとをもおもひときて 哥のほとにしたかひはからふへきことなり/e4r