古本説話集 ====== 第59話 清水寺、御帳給はる女の事 ====== **清水寺御帳給女事** **清水寺、御帳給はる女の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、頼りなかりける女の、清水にあながちに参るありけり。参りたる年月つもりたりけれど、つゆばかりその験とおぼゆることなくなり。 いとど頼りなくなりまさりて、果ては年ごろありける所をも、そのこととなくあくがれて、寄り付く所もなかりけるままには、泣く泣く観音を恨み奉りて、「いみじき先の世の報ひなりと言ふとも、ただ少しの頼り給はり候はん」といりもみ申して、御前にうつぶしたりける夜の夢に、「御前より」とて、「かくあながちに申すは、いとほしくおぼしめせど、少しにてもあるべき頼りの無ければ、その事をおぼしめし嘆くなり。これを給はれ」とて、御帳の帷(かたびら)を、いとよくうち畳みて、前にうち置かると見て、夢覚めて、みあかしの光に見れば、夢に給はると見つる御帳の帷、ただ見つる様に畳まれてあるを見るに、「さは、これより他に賜ぶべき物無きにこそあんなれ」と思ふに、身のほど思ひ知られて、悲しくて申すやう、「これ、さらに給はらじ。少しの頼りも候らはば、錦をも御帳の帷には縫ひて参らせんとこそ思ひ候ふに、この御帳ばかりを給はりて、まかり出づべきやう候はず。返し参らせ候ひなん」と、くどき申して、犬防ぎの内にさし入れて置きつ。 さて、またまどろみ入りたるに、また夢に、「など、さかしうはあるぞ。ただ給はん物をば給はらで、かく返し参らするは、あやしきことなり」とて、また給はると見る。さて、覚めたるに、また同じやうに、なほ前にあれば、泣く泣くまた返し参らせつ。 かやうにしつつ、三度(みたび)返し奉るに、三度ながら返し賜びて、果ての度(たび)は、この度返し奉らば、無礼(むらひ)なるべきよしを戒められければ、「かかりとも知らざらん僧は御帳の帷を放ちたるとや疑はんずらん」と思ふも苦しければ、まだ、夜深く、懐にさし入れて、まかり出でにけり。 「これをばいかにすべき」なんど思ひて、引き広げて見て、「着るべき衣(きぬ)も無し。さは、これを衣にして着む」と思ふ心付きぬ。それを衣や袴にして着てける後、見と見る、男にまれ、女にまれ、あはれにいとほしき物に思はれて、すずろなる人の手より、物を多く得てけり。大事なる人の愁へをも、その衣を着て、知らぬやむごとなき所にも参りて申させければ、かならず成りけり。 かやうにしつつ、人の手より物を得、良き男にも思はれて、楽しくてぞありける。されば、その衣をば収めて、「かならずせむ」と思ふ事の折にぞ、取り出でて着てける。かならずかなひけり。 ===== 翻刻 ===== いまはむかしたよりなかりける女のきよ水にあなか ちにまいるありけりまいりたるとしつきつもりた りけれとつゆはかりそのしるしとおほゆることなくな りいととたよりなくなりまさりてはてはとしころありけるところをもそ のこととなくあくかれてよりつく所もなかりける ままにはなくなく観音をうらみたてまつりていみし きさきのよのむくひなりといふともたたすこしの たより給はり候はんといりもみ申て御まへにうつふし たりけるよのゆめに御前よりとてかくあなかちに 申はいとをしくおほしめせとすこしにてもあるへ/b203 e104 きたよりのなけれはその事をおほしめしなけく なりこれを給はれとて御ちやうのかたひらをいとよく うちたたみてまへにうちをかるとみてゆめさめ てみあかしのひかりにみれはゆめに給はるとみつ る御ちやうのかたひらたたみつるさまにたたまれて あるをみるにさはこれよりほかにたふへき物なき にこそあんなれと思ふに身のほとおもひしられて かなしくて申やうこれさらに給はらしすこしの たよりもさふらははにしきをも御ちやうのかたひらにはぬひ てまいらせんとこそおもひさふらふにこの御ちやう/b204 e105 はかりを給はりてまかりいつへきやう候はすかへし まいらせ候なんとくとき申ていぬふせきのうちに さしいれてをきつさてまたまとろみいりたるに 又ゆめになとさかしうはあるそたた給はん物をは 給はらてかくかへしまいらするはあやしきこと也 とて又給はるとみるさてさめたるに又おなし やうになをまへにあれはなくなく又かへしまいらせ つかやうにしつつみたひかへしたてまつるにみ たひなからかへしたひてはてのたひはこのたひかへし たてまつらはむらひなるへきよしをいましめられけ/b205 e105 れはかかりともしらさらん僧は御ちやうのかたひら をはなちたるとやうたかはんすらんと思ふもくるし けれはまた夜ふかくふところにさしいれてまか りいてにけりこれをはいかにすへきなんと思ひて ひきひろけてみてきるへききぬもなしさはこれをきぬ にしてきむとおもふ心つきぬそれをきぬやはかま にしてきてける後みと見るおとこにまれ女に まれあはれにいとをしき物に思はれてすすろな る人のてより物をおほくえてけり大事なる人の うれへをもそのきぬをきてしらぬやむことなき/b206 e106 所にもまいりて申させけれはかならすなりけりか やうにしつつ人のてより物をえよきおとこにも思は れてたのしくてそありけるされはそのきぬをはお さめてかならすせむと思ふ事のおりにそとり いててきてけるかならすかなひけり/b207 e106