[[index.html|唐鏡]] 第五 後漢光武より献帝にいたる ====== 18 後漢 孝霊帝(2 黄巾の乱) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami5-17|<>]] 中平元年、張角((底本「チヤウロク」と読み仮名。))といふ者、みづから黄天と称して、黄巾(クワウキン)をしたるもの三十六万人をともなひて謀反のことあり。皇甫嵩(くわうほすう)((底本「クワウフシウ」と読み仮名。))、これらを打ち破りつ。 今年六月に、洛陽の女子、頭二つある児を生めり。次の年もまた頭二つ臂四つある児を生める者ありき。また、馬の人を生めることもありき。また、内裏の殿庭に青き虹の見ゆることもありき。この御時、かやうの災(さい)ども数へ尽すべきにあらず。 黄巾の余党ら、また西河の白波谷(はくはこく)といふ所におこりて、国々の物をかすめ盗む。「白波の賊」とぞ号しける。十余人ばかりありけるを、董卓(とうたく)、中郎将牛輔(ぎゆうほ)をつかはして打ち落しつ。盗人、白波といひ侍ることは、このおこりなり。 [[m_karakagami5-17|<>]] ===== 翻刻 ===== 中平元年張角(チヤウロク)といふものみつから黄天と称して黄 巾をしたるもの三十六万人をともなひてむほんのこと あり皇甫嵩(クワウフシウ)これらをうちやふりつことし六月 に洛陽の女子頭二ある児をむめりつきのとしも又 頭二ひち四ある児をむめるものありき又馬の人を むめることもありき又内裏の殿庭に青(アヲキ)虹のみゆる こともありきこの御ときかやうの災(サイ)ともかそへつく すへきにあらす黄巾(クワウキン)の餘党(ヨタウ)等又西河の白波谷(ハクハコク)と いふところにおこりて国々のものをかすめぬすむ白波(ハクハ)/s143l・m257 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/143?ln=ja の賊とそ号ける十餘人はかりありけるを董卓(トウタク) 中郎将牛輔をつかはしてうちおとしつぬす人白波 といひ侍ことはこのおこりなり/s144r・m258 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/144?ln=ja