[[index.html|唐鏡]] 第五 後漢光武より献帝にいたる
====== 17 後漢 孝霊帝(1 即位) ======
===== 校訂本文 =====
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第十一の主をば孝霊帝((霊帝・劉宏))と申しき。諱(いみな)は宏(くわう)。粛宗((章帝・劉炟))の玄孫なり。
桓帝((桓帝・劉志))失せ給ひて、御子の嗣(つ)ぎ給ふべきおはしまさぬによりて、竇(とう)太后((竇妙))、父竇武と謀(はか)りて、帝を迎へ奉りて、位に即き給ふ。御年十二なり。
建寧三年春正月に、河内(かだい)には夫(をと)食らふ婦(め)あり。河南には婦を食らふ夫ありき。
四年春正月に、帝、元服し給ふ。
五年十月に、御殿の後ろなる槐の樹みづから根を抜けて、倒(さかさま)に立ちたり。
光和元年、官を売らるること多し。公には千万、卿(けい)には五百万なり。
四年に、帝、後宮に市を作りて、もろもろの采女(さいぢよ)をして売り買はしむれば、盗みする者、いさかひするものひまなし。帝、商人の着物を着させ給ひて、酒を勧め楽しみ給ふ。また、犬をひき、四つの兎馬(うさぎうま)を駆けて、みづから轡(くつわ)を取りて馳せて、京をめぐらせ給ふ。
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===== 翻刻 =====
第十一主をは孝霊帝(カウレイテイ)と申き諱は宏(クワウ)粛宗(シクソウ)の玄孫なり
桓帝(クワンテイ)うせ給て御子の嗣給へきおはしまさぬによりて
竇太后ちち竇(トウ)武とはかりてみかとをむかへたてまつり
て位に即給御年十二なり
建寧三年春正月に河内(カタイ)には夫を食(クラ)婦(メ)あり河南には
婦(メ)を食(クラフ)夫(ヲト)ありき/s142l・m255
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/142?ln=ja
四年春正月にみかと元服し給
五年十月に御殿のうしろなる槐の樹みつから根
をぬけて倒(サカサマ)にたちたり
光和元年官を売(ウラ)るることおほし公には千万卿(ケイ)には
五百万なり
四年に帝後宮にいちをつくりてもろもろの采(サイ)女を
して売かはしむれはぬすみするものいさかひする
ものひまなし帝商人のきものをきさせ給ひて
酒をすすめたのしみ給又犬をひき四のうさきむま
をかけてみつからくつは(沓イ)をとりてはせて京をめく/s143r・m256
らせ給/s143l・m257
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/143?ln=ja