[[index.html|唐鏡]] 第五 後漢光武より献帝にいたる
====== 11 後漢 孝殤帝 ======
===== 校訂本文 =====
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第五の主をば孝殤帝(かうしやうてい)((殤帝・劉隆))と申しき。諱(いみな)は隆。和帝(くわてい)((劉肇))の少子なり。
生まれ給ひて百余日ばかりして位に即き給ひ、鄧太后((鄧綏))、朝(てう)にのぞみ給ひ、次の年、延平元年((「延平元年」は底本「延平年」。内閣文庫本により補う。))八月に崩じ給ひぬ。
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===== 翻刻 =====
第五主をは孝殤帝(カウシヤウテイ)と申き諱は隆(リウ)和帝(クワテイ)の少子な
りむまれ給ひて百餘日はかりして位に即た
まひ鄧太后(トウタイコウ)朝(テウ)にのそみ給ひつきのとし延平/s138l・m247
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/138?ln=ja
年八月に崩たまひぬ/s139r・m248
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/139?ln=ja