[[index.html|唐鏡]] 第四 漢武帝より更始にいたる ====== 11 漢 孝宣帝(2 治世・崩御) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami4-10|<>]] 本始元暦戊申の暦、大将軍霍光、政を返す。帝(みかど)((宣帝・劉詢))、さらに詔を下し、「諸事みなまづ霍光に関白して、後に奏聞せよ」と仰せ下す。霍光、天下を治むる間、前後合はせて二十暦、天下泰平なり。 隠れて後、賢臣、補佐のいみじきことを思ひ続けて、その人十一人を麒麟閣に画図せらるるに、第一に霍光を書けり。その銘にいはく、「大司馬大将軍博陸侯姓霍氏」とて、名をば書かず。その他の人どもは、みな名を書きたるに、霍光一人かくあるは、重くせらるるあまりなり。 帝、御位の始めつかた、行幸なとど霍光供奉しけるをば、御肩に芒を負ひたるやうに思し召しけり。 地節四暦夏、洛陽に雹(ひよう)降る。大きなること鶏(にはとり)の子のごとし。深さ二尺五尺((底本「二尺五尺」。底本の異本注記により訂正。))、人多く((「多く」は底本「おうおう」。底本の異本注記により訂正。))あやまちあり。飛ぶ鳥もわうわう死ににけり。 元康二暦春、鳳凰集り甘露くだる。この御時、かやうの瑞祥ども、あまたたび見えたり。世治まり、暦ゆたかにして、米一石の値(あたひ)五銭に当たりけり。ありがたかりしことなり。 黄竜元暦、未央殿(びあうでん)に雌鶏化して鳩の雄(をどり)となる。この十二月に帝崩じ給ひぬ。御暦四十二、在位二十五暦なり。 [[m_karakagami4-10|<>]] ===== 翻刻 ===== 本始元暦戊申の暦大将軍霍光政をかへす御門さら に詔(セウ)をくたし(てイ)諸事みなまつ霍光に関白し てのちに奏聞せよと仰くたす霍光天下をおさむる あひた前後あはせて二十暦天下泰平なりかくれて のち賢臣(ケンシン)補佐(ホサ)のいみしきことをおもひつつけて その人十一人を麒麟閣に画図せらるるに第一に 霍光をかけりその銘にいはく大司馬大将軍博陸(ハクリク) 侯性霍氏(コウセイクワツシ)とて名をはかかすそのほかの人ともは みな名をかきたるに霍光ひとりかくあるはおもく/s108r・m194 せらるるあまりなり御門御位のはしめつかた 行幸なとに霍光供奉しけるをは御肩に芒を おひたるやうにおほしめしけり地節四暦夏洛(ラク) 陽(ヤウ)に雹ふる大なる事鶏(ニハトリ)の子のことし深さ二尺 五尺(寸イ)人おうおう(イ多ク)あやまちあり飛鳥もおうおうしにに けり元康二暦春鳳凰(ホウワウ)あつまり甘露くたる この御時かやうの瑞祥共あまたたひ見えたり 世おさまり暦ゆたかにして米一石のあたひ五銭に あたりけりありかたかりし事なり 黄龍(クワウリヨウ)元暦未央殿に雌鶏(ニハトリ)化して鳩(ハト)の雄(ヲトリ)となる/s108l・m195 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/108 この十二月に御かと崩給ぬ御暦四十二在位二 十五暦也/s109r・m196 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/109