[[index.html|唐鏡]] 第四 漢武帝より更始にいたる
====== 10 漢 孝宣帝(1 誕生・即位) ======
===== 校訂本文 =====
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第八の主を孝宣皇帝((宣帝・劉詢))と申しき。諱(いみな)は詢(じゆん)。武帝の曾孫、戻太子(れいたいし)((劉拠))の孫なり。戻太子、史良娣(しりやうてい)を納(い)れて、史皇孫((劉進))を生めり、史皇孫、王夫人((王翁須))を納れて、この帝を生み奉れり。皇曾孫とぞ申しし。
生れ給ひて後、巫蠱の禍((底本「巫蠱」に「フテウ」と読み仮名。通常は「ふこ」。))(わざはひ)にあひて、襁褓((底本「キヤフホウ/ムツキ」と読み仮名。))にありながら、郡鄭の獄(ごく)に捕はれ給しひを、丙吉(へいきつ)といひし人廷尉たりしが、この君の罪なきことをあはれみ奉りて、女徒の乳(ち)ある者を奉りて、わたくしに衣食を給びなどして、助け奉る。
巫蠱のこと、久しく決せられざるに、望気(ばうき)の者申さく、「長安の獄の中に天子の気あり」と申せり。武帝、使をつかはして、獄内を軽重(きやうちよう)をいはず、みな殺されぬ。この君も危うかりしを、丙吉、とかくして生き奉りつ。しきりに大赦にあひて、ゆり給ひぬれば、祖母史良娣が家へ送られ給ひぬ。
齢((底本「レイ/ヨハイ」と読み仮名。))長じて、学を好み才高くおはします。遊佚((底本「イウイツ/スク也」と読み仮名及び注。))を好みて、鶏を合はせ、馬を馳せさせ給ふ。御身及び足の下に毛おひたり。臥しゐ給ふに、光り輝くこともありけり。
昌邑王((劉賀。[[m_karakagami4-09]]参照。))捨てられて、群臣、璽綬を奉りて、皇帝の位につき給ふ。御暦十八なり。
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===== 翻刻 =====
第八主を孝(カウ)宣皇帝と申き諱は詢(シユン)武帝の曾(ソウ)孫
戻太子(レイタイシ)の孫也廃(戻イ)太子(レイタイシ)史良娣(シリヤウテイ)を納(イレ)て史(シ)皇孫をむめ
り史皇孫王夫人を納てこの御門をむみたてまつ
れり皇曾孫(クワウソソン)とそ申ゝ生れ給てのち巫蠱(フテウ)のわさはひ
にあひて襁褓(キヤフホウ/ムツキ)にありなから郡鄭(クンテイ)の獄(コク)にとらはれ
給しを丙(ヘイ)吉といひし人廷尉たりしかこの君のつみ
なき事をあはれみたてまつりて女徒(チヨト)の乳(チ)ある
ものをたてまつりてわたくしに衣食をたひな
としてたすけたてまつる巫蠱のことひさしく/s107r・m192
決(クヱム)せられさるに望気(ハウキ)のもの申さく長安の獄(コク)の中に
天子の気ありと申せり武帝つかひをつかはして
獄(コク)内を軽重(キヤウテウ)をいはすみなころされぬこの君もあ
やうかりしを丙(ヘイ)吉とかくしていきたてまつり
つしきりに大赦(シヤ)にあひてゆり給ぬれは祖母(ソホ)史
良娣(リヤウテイ)か家へをくられ給ぬ齢(レイ/ヨハイ)長して学をこのみ才(サイ)
たかくおはします遊佚(イウイツ/スク也)をこのみて鶏をあはせ馬を
はせさせ給ふ御身及足のしたに毛おいたり
ふしゐ給にひかりかかやくこともありけり昌邑王(シヤウイウワウ)
すてられて群臣璽綬(シシウ)をたてまつりて皇帝の/s107l・m193
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/107
位につき給ふ御暦十八也/s108r・m194
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/108