[[index.html|唐鏡]] 第四 漢武帝より更始にいたる
====== 9 漢 孝昭帝(2 崩御・昌邑王の廃位) ======
===== 校訂本文 =====
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元平元暦夏四月、未央宮(びあうきゆう)にて崩じ給ひぬ。御暦二十一、在位十三暦なり。
御子の継ぎ給ふべきなければ、武帝((劉徹))の御孫に、昌邑王賀((劉賀))と申しける王孫を、皇太后((上官皇后))迎へ奉りて、位につけ給ひつ。
二十七日の間に、一千一百二十七ヶ条((異本注記によると、一千一百二十ヶ条。))の僻事(ひがごと)どもを行はれて、帝王の礼義失なはれぬれば、大将軍霍光ら歎き悲しみて、はかりごとをめぐらす。この時に、天曇りて、昼夜日月を見ざること二十余日なり。
つひに王を捨て奉りて、海昏侯(かいこんこう)に封じつ。
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===== 翻刻 =====
元平(クワンヘイ)元暦夏四月未央(ヒヨウ)宮にて崩給ぬ御暦二十一在位
十三暦也御子のつき給へきなけれは武帝の御孫に
昌邑王賀(シヤウユウワウカ)と申ける王孫を皇大后むかへたてまつりて
位につけ給つ廿七日のあいひたに一千一百廿七(イナシ)ヶ条のひ
かこと共をおこなはれて帝王の礼儀(レイギ)うしなはれぬ
れは大将軍霍光等なけきかなしみてはかりことを
めくらすこの時に天くもりて昼夜日月を見さる
事廿余日なりつゐに王をすてたてまつりて
海昏侯(カイコンコウ)に封じつ/s106l・m191
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/106