[[index.html|唐鏡]] 第四 漢武帝より更始にいたる
====== 7 漢 孝武帝(7 顔駟・崩御) ======
===== 校訂本文 =====
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ある時に、帝(みかど)((武帝・劉徹))、郎署(らうしよ)((底本表記「郎暑」。))を過ぎ給ふに、顔駟といふ者、尨眉皓髪(ばうびかうはつ)にして侍り。
帝、問ひ給はく、「叟(おきな)は何の時より郎(らう)たりけるぞ。いかに老いたるぞ」とのたまふに、「臣は文帝((劉恒))の御時より郎たり。文帝、文を好み給ひしには、臣、武を好む。景帝((劉啓))、美を好み給しには、臣の貌(かたち)醜(みにく)し。陛下((底本「階下」に「ヘイカ」と読み仮名。))壮((底本「サカリナル」と読み仮名。))を好み給へば、臣、すでに老いたり」と答へ申すに、帝、其言(そのこと)をあはれみ給ひて、会稽都尉になし給ふ。
後二暦二月に、帝五柞宮にて崩じ給ひぬ。御歳七十一、在位五十四暦なり。
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===== 翻刻 =====
やとなり或時に帝郎暑(ラウシヨ)を過給に顔駟と云もの
尨眉皓髪(ハウヒカウハツ)にして侍り帝問給はく叟(ヲキナ)は何の
時より郎(ラウ)たりけるそいかに老たるそとの給に臣は文帝
の御時より郎たり文帝文を好み給しには臣武/s104l・m187
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/104
を好景帝美を好給しには臣の貌(カタチ)醜(ミニク)し階下(ヘイカ)壮(サカリナル)を
好給へは臣已に老たりと答申に帝其言(ソノコト)をあはれみ
給て会稽都尉(クハイケイトヰ)になしたまふ
後二暦二月に帝五柞宮にて崩給ぬ御歳七十一
在位五十四暦なり/s105r・m188
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/105