[[index.html|唐鏡]] 第三 漢高祖より景帝にいたる ====== 16 漢 孝景帝(1 呉楚七国の乱) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami3-15|<>]] 第五の主をば孝景皇帝((劉啓))と申しき。諱(いみな)は啓。文帝((劉恒))の太子なり。御母、竇皇后(とうくわうごう)と申しき。 元年乙酉の年なり。冬、膠東(かうとう)といふ所に、七十有余りなる人、にはかに角生ひ、毛生ひたることありき。そのころまた、白鳥と黒鳥と楚国といふ所にて食ひ合ひて、白き鳥は勝たずして、水に入りて死に侍りき。 帝、太子にておはしましし時、呉王((劉濞))の太子((劉賢))参り給ひて、文帝と博奕(ばくえき)し給ひしに、「無礼なり」とて、博の局(きよく)をもて打ち殺して、呉王のもとへつかはしつ。 それより呉王、陰謀の心ありて、人々いさむれども聞かず。この御時に至りて、七国ともに謀叛のことあり((呉楚七国の乱))。 帝、大尉周亜夫、大将軍竇嬰(とうえい)などをつかはして討たせらる((「らる」は底本「たる」。底本の異本注記により訂正。))。御史大夫晁錯(てうそ)を誅して、七国に謝せらる。諸将軍、七国をやぶり、呉王を切りつ。残の六王みな自殺しつ。 [[m_karakagami3-15|<>]] ===== 翻刻 ===== 第五の主をは孝景(カウケイ)皇帝と申き諱は啓(ケイ)文帝の太子也 御母竇(トウ)皇后と申き元年乙酉のとし也冬膠東(カウトウ)と 云所に七十有餘なる人にはかに角おひ毛おひたる 事有きその比又白鳥と黒鳥と楚国(ソウコク)と云所にて くひあひて白き鳥はかたすして水に入て死侍り/s89l・m163 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/89 き御門太子にておはしましし時呉王(コワウ)の太子まいり 給て文帝と博奕(ハクエキ)し給しに無礼なりとて博の局(キヨク) をもてうちころして呉王のもとへつかはしつ それより呉王陰謀のこころありて人々いさむれとも きかす此御時にいたりて七国ともに謀叛の事有 御かと大尉周亜夫大将軍竇嬰(トウエイ)なとをつかはして うたせた(イラ)る御史大夫晁錯(テウソ)を誅して七国に謝せら る諸将軍七国をやふり呉王を切つ残の六王みな 自殺(サツ)しつ後二年四月に詔してのたまはく雕文(テウフン)/s90l・m165 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/90