[[index.html|唐鏡]] 第三 漢高祖より景帝にいたる ====== 13 漢 孝文帝(3 丞相の役職など) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami3-12|<>]] この御時((孝文帝・劉恒の時。))、盗(ぬすびと)ありて、高廟の座の前の玉環を盗めり。廷尉(ていい)張釈之((底本「チヤウセキシ」と読み仮名。))に下し給ふ。棄市(きし)((底本「棄」に「キ/スツル」と読み仮名及び注。))すべしと奏し申に、帝、怒(いか)りてのたまはく、「族せむと思ふ」と。釈之、謝((底本「謝」に「シヤウ」と読み仮名。))して<申さく、「今、宗廟の器(うつは)を盗みたりとて族せられば、たとひ愚民の長陵((高祖陵))の一杯((底本「杯」に「アウ」と読み仮名。また「坏」と異本注記。))の土((「土」は底本「安」。底本の異本注記により訂正。))を取らむをば、陛下何をもちてか((「もちてか」は底本「も」なし。底本の異本注記により補う。))その法をくはへ給ふべき」と申す。文帝、さもと思したりけり。 ある時に、文帝、右丞相に問ひてのたまはく、「天下の一歳の獄(うたへ)のことわるること、いくばくぞ」。周勃が申さく、「知らず」。帝、また問ひ給はく、「天下一歳の銭穀(せんこく)の数、いかにぞ」。周勃またま申さく、「知らず」。この恥かしさに、汗背に通りていふばかりなし。 帝、また左丞相陳平に問ひ給ふ。陳平が申さく、「御尋ねのことども、みな司れるものあり。それに問はるべし」。帝のたまはく、「誰々ぞや」。陳平が申さく、「獄(うたへ)のことは、廷尉に問ひ給へ。銭穀のことは治粟内吏(ぢしよくだいり)((「治粟内史」の誤り。))に問ひ給へ。帝ののたまはく、「まことにいはれたりけり。丞相はまた何を司る」。陳平が申さく、「丞相は上(かみ)陰陽を治めて四時に従ひ、下(しも)万物をやしなふ。外は四夷(しい)・諸侯をしづめ、内は百姓をむつびなづく」。帝(みかど)とこれを聞きて、「めでたし」とのたまふ((「のたまふ」は底本「給ふ」。文脈により訂正。))。 右丞相、大いに恥ぢて出でぬ。左丞相を恨みて、「などか、もとよりわれにこのよしを教へざりつる」と言ふに、左丞相嘲笑ひて、「君もその位にをり、などかそのことを知らざりつる」と言ふ。 [[m_karakagami3-12|<>]] ===== 翻刻 ===== 物たまひける此御時盗(ヌスヒト)ありて高廟の座の前の 玉環(キヨククハン)をぬすめり廷尉(テイイ)張釈之(チヤウセキシ)にくたし給棄(キ/スツル)市(シ)す へしと奏(ソウシ)申に帝怒(イカリ)てのたまはく族せむとおもふ と釈之謝(シヤウ)してまうさく今宗廟(ソウヘウ)の器(ウツハ)をぬすみ/s85l・m155 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/85 たりとて族せられは縦令(タトヒ)愚民の長陵の一杯(アウ)(イ坏)ノ安(土イ) をとらむをは陛下(ヘイカ)なにを(もイ)ちてかその法をくはへ 給へきと申文帝さもとおほしたりけり或 時に文帝右丞相にとひてのたまはく天下の一歳 の獄(ウタヘ)のことわるる事いくはくそ周勃か申さくしらす 帝又問給はく天下一歳の銭穀(セムコク)の数いかにそ周勃 又まうさくしらすこのはつかしさに汗背にとほり ていふはかりなし帝又左丞相陳平にとひ給陳平か まうさく御尋のこととも皆つかさとれるものあり それにとはるへし帝宣くたれたれそや陳平か申/s86r・m156 サク獄(ウタヘ)の事は廷尉にとひ給へ銭穀の事は治粟内(チシヨクダイ) 吏(リ)にとひ給へ帝ののたまはくまことにいはれたり けり丞相は又なにをつかさとる陳平か申さく丞相 は上(カミ)陰陽(イムヤウ)をおさめて四時にしたかひ下万物をや しなふ外は四夷(シイ)諸侯をしつめ内は百姓をむつひな つく御かとこれをききてめてたしと給ふ右丞相大に はちていてぬ左丞相をうらみてなとかもとより われにこのよしをおしへさりつると云に左丞相 あさわらひてきみもそのくらひにおりなとかその ことをしらさりつると云この御時匈奴京(ミヤコ)へいるを/s86l・m157 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/86