[[index.html|唐鏡]] 第三 漢高祖より景帝にいたる ====== 7 漢 高祖(7 戚夫人と商山四皓) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami3-06|<>]] 高祖((劉邦))、孝恵((劉盈))を太子((「太子」は底本「太公」。後の異本注記に「太子」とあるのにより訂正。))と定め奉りてあるほどに、愛女(あいぢよ)戚夫人(せきふじん)が子、趙王如意(てうわうによい)((劉如意))をいとほしがりて、孝恵を代へて如意を太子((「太子」は底本「太公」。異本注記より訂正。))とせむとするに、孝恵の母呂后((呂雉))驚きて、張良に、「こは、いかがせんずる」と言ひ合はするに、張良、「ゆゆしき大事なり。ただし、高祖の召し使はばやと思したる者四人((商山四皓))、年老いて商洛山(しやうらくさん)((商山))といふ所に隠れてゐたり。高祖の御心あまりにて、人をあなどり、ものともし給はぬを憤りて、隠れ居て、漢の臣たりしと申すなるを、高祖いみじく口惜しきことに思したれども、かなはずして年を経(へ)にけり。かの四人をいかにもして召し寄せて、太子の臣になされたらば、けしうあらじ」と申すに、とかくして呼び寄せつ。 そののち高祖宴会し給ふ。太子なむ侍りけり。かの四人、太子の供にあり。年みな八十余りにて、鬚眉(ひげまゆ)白く、衣冠などただ人にも似ず。高祖怪しみて、「あれは何ぞ」と問ひ給ふに、四人、進みて姓名を申さく、「園公(ゑんこう)・甪里先生(ろくりせんじやう)((底本表記「角里先生」。))・綺里季(きりき)・夏黄公(かくわうこう)」と言へり。 高祖、大いに驚いて、「われ求むること数年になりぬ。隠れて出でねば、力も及ばであるに、わが子のいふかひなきに従へる、いかなることにか」とのたまふに、四人の者の申さく、「君は人をあなどりて、ものともし給はず。われら((底本「は」と異本注記。))何のゆゑにか従ひ奉るべき。太子はめでたき人にて、天下の人、太子のためには命をも惜しまずと聞こゆれば、参りて従へるなり」と申すに、高祖すべきやうなくして、いみじく思ひたり。 「すみやかに太子を守(まぼ)り奉れ」とのたまはず、宴会果てて出づる折に、高祖はるかに見遅れ給ひて、思すことあり顔なり。戚夫人を呼びてのたまはく、「われ太子を代へて如意を断てんとしつるに、かの四人、すでに太子の方人(かたうど)になりにけり。羽翼(うよく)になりたり。動かしがたし」とのたまふ。戚夫人、涙を流す。高祖、「わがために舞へ。われは歌はむ」とのたまひて、わが思ふことかなふまじく、世の末恐しからんずることを思ひ続け給ひて、御涙どもおさへがたし。 [[m_karakagami3-06|<>]] ===== 翻刻 ===== かこみをときぬれは帝はのかれ出給ぬ高祖孝恵 を太公とさためたてまつりてあるほとに愛女(アイチヨ)戚(セキ) 夫人(フシム)か子趙王如意(チウツウシヨイ)をいとをしかりて孝恵をかへ て如意を太公(子イ)とせむとするに孝恵の母呂后(リヨコウ)おと ろきて張良にこはいかかせんするといひあはする/s76r・m136 に張良ゆゆ敷大事也たたし高祖のめしつかはは やとおほしたるもの四人年おひて商洛山(シヤウラクサム) と云所にかくれてゐたり高祖の御こころあまりにて 人をあなとりものともし給はぬをいきとをりて かくれ居て漢の臣たりしと申なるを高祖い みしく口をしきことにおほしたれともかなはす して年を経にけり彼四人をいかにもしてめしよせ て太子の臣になされたらはけしうあらしと申 すにとかくして呼よせつそののち高祖宴会(エンクワイ)し 給太子なむ侍けり彼四人太子のともにあり年皆/s76l・m137 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/76 八十餘にて鬚眉(ヒケマユ)白く衣冠なとたたひとにもにす高 祖あやしみてあれはなにそととひ給ふに四人すすみ て姓名を申さく園公(ヱムコウ)角里先生(ロクリセムシヤウ)綺里季(キリキ)夏黄公とい へり高祖大におとろひてわれもとむる事数年に なりぬかくれていてねはちからもおよはてあるに わか子の云かひなきにしたかへるいかなる事にかと のたまふに四人のものの申さく君は人をあなとり てものともし給はすわれら(イニハ)なにのゆへにかしたかひ たてまつるへき太子はめてたき人にて天下 の人太子のためにはいのちをもをしますときこ/s77r・m138 ゆれはまいりてしたかへる也と申に高祖すへき やうなくしていみしくおもひたり速に太子 をまほりたてまつれとのたまはす宴会はて ていつる折に高祖はるかにみをくれ給てお ほすことありかほ也戚夫人をよひてのたまはく 我太子をかへて如意をたてんとしつるにかの四人 すてに太子のかた人になりにけり羽翼(ウヨク)になり たりうこかしかたしとのたまふ戚夫人涙をなか す高祖わかためにまへわれはうたはむとのたまひて わかおもふ事かなふましく世のすへおそろしからん/s77l・m139 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/77 する事をおもひつつけ給て御涙ともおさへかたし/s78r・m140 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/78