[[index.html|唐鏡]] 第三 漢高祖より景帝にいたる ====== 2 漢 高祖(2 鴻門の会) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami3-01|<>]] 御歳四十八にて沛公((劉邦))にぞなり給ふ。その後、項羽と雍丘(ようきう)といふ所にて、秦の軍(いくさ)と合戦す。漢の元年十月に、沛公の兵(つはもの)、諸侯に先立ちて覇上(はじやう)に至る。 秦の王子子嬰(しえい)、皇帝の璽符(じふ)を奉りて、降人に参る。諸将ども、これを殺さんと申す。沛公のいはく、「降人を殺さむことは不祥なり」とて、吏(り)にあづけられぬ。咸陽宮に入りて休まむとし給ひけるを、樊噲(はんくわい)・張良(ちやうりやう)諫め申しければ、秦の宝物の庫どもを封じて、覇上に帰り給ひぬ。 秦の父老の苛法(かはふ)の政に苦しべるを召し集へてのたまはく、「吾(われ)、諸侯と約束して、『先づ関((底本「クハン/セキ」と読み仮名。))に入らむものを王とせむ』と言ひき。われすでに最先(さいせん)に入れり。王たるべし」とて、父老と三省(さんしやう)の法を約し給ふ。「人を殺せらん者をば死せしめむ。人をやぶり及び盗みせらむ者を罪にいたさむ。このほかは、秦の苛法を除き捨てよ」とぞのたまひける。 十一月に、項羽、諸侯の兵を率ゐて関に入らむとするに、関門閉ぢたりと聞きて、大いに怒りて、函谷関をやぶりて、戯(ぎ)といふ所に至りつ。沛公の臣(しん)、曹無傷(さうむしやう)といふもの、項羽に忠言をして、「沛公、天下を取らむとす」と言ふ。項羽、大いに怒りて、鴻門(こうもん)といふ所へ沛公を呼びて、「酒盛せん」といふ虚言(そらごと)をして、沛公を討たむとす。 呼ばれて沛公、「おほかた、さることなし」とあらがひ給ふ。項羽がいはく、「これは沛公の左司馬、曹無傷が告げ申したるなり。しからずは、いかでか知らん」とて、「いかさまにも、しばし留まり給へ。酒飲まむ」とて、あらあらしき気色して、留めおきつ。 項羽・項伯は東に対(むか)ひてをり。亜父(あふ)((范増))は南に対ひてをり。亜父といふは、項羽が頼みたる者なり。沛公は北に対ひてをり。張良は西に対ひて侍り。亜父、玉玦(ぎよくけつ)((底本「玉玦」の読み仮名「キヨクフノ」か。))をもたげて、項羽に目くばせす。これ、「沛公を討ち殺せ」といふ心なり。 かやうに三度(みたび)まですれども、項羽、おほかた心得ずして、思ひ寄らず、亜父、座を立ちて、項荘((底本表記「項庄」。))といふ者を呼びていはく、「項羽、人のはからひに従はず。なんぢ入りて、酒盛りに祝ひ事するやうにて、剣を抜きて舞ひて、果てがたに、さりげなくて沛公を討ち殺せ。しからずは、われらが輩(ともがら)、沛公に討たれなむず」と言ふ。 項荘かへり入りて、亜父が教へのままにするに、項伯といふ者その庄にあり。項羽の一家にてあれども、世の道理を知りて、沛公がむなしく殺されんことを哀れみて、また剣を抜きて舞ひけり。さりげなくて、沛公を立ち隠して討たせず。 張良、このことを見るに、あさましくて、座を立ちて、門へ出でて樊噲といふ者に会ふ。樊噲は沛公が頼みたるものなり。「今日のことは、いかがなりぬる」と問ふに、「沛公、今は((底本「今は」なし。底本の異本注記により補う。))かなふまじきにこそ」と言へば、樊噲、大いに驚きて、「今は限りにこそ。われ、同じ所にて死なむ」と言ひて門を入るに、門をかためたる者、「いかに荒涼(くわうりやう)には入るぞ」とて制するに、楯を持ちて固めたる者を突き落して押し入りぬ。 幕(まく)をかかげて、西に対(むか)ひて立てり。大いに怒りて項羽を見る。頭(かしら)の髪すぢごとにいよ立ち、目を見張りたれば、まなじりみな裂けたり。項羽、怖ぢ恐れて、剱を取りてひざまづきてあれば、「何者ぞ」と問ふに、張良が申さく、「沛公の臣、樊噲といふ者なり。酒飲ませよ」とて、一斗入る盃にて酒を飲ます。 樊噲、喜ぶまねにて、ことともせず、立ちながら飲みつ。項羽、「肴(さかな)給へ」と言ふに、彘(ゐ)の生(なま)しき肩一つ取らす。樊噲、楯をつらにうつぶせり。彘の肩を太刀抜きて、切りて食ふ。項羽、あまりの恐しさに、また、「ゆゆしき武者なり」と言ひて、「また飲みてんや」と言ふに、樊噲がいはく、「命を召すとても辞(じ)し申すべきにあらず。まして、一斗の酒、ものの数に侍らず。さては、秦国の王、あさましき人にて、天下みなそむけり。項羽、これを討たんとすと聞きて、沛公も力を合はせむとて、覇上といふ所に城をかまへて待ち申しき。それに人を討たむとすること、いふかひなきことなり。秦の国の滅びなむとするに異ならず。項羽の次第、けういていなり」と言ひののしるに、項羽、言ひふせられて、ものも言はず、ただ便なく((「便なく」は底本「たんなく」。底本の異本注記により訂正。))立ちながらは、「いかに言ふぞ」と、わななき言ひ出だしたりければ、これも道理にて、張良もゐよとはからへば、樊噲、やがて張良が傍らにゐぬ。 沛公、すべきやうもなくて、厠(かはや)へまからむといふ虚言(そらごと)をして、座を立ちぬ。樊噲を密かに呼び出だして逃げなむとす。 項羽、人をして沛公を呼ばしむ。沛公が思はく、「いとまを申さず、許しなくて出でぬ。今召し返さるには、いかがせんずる」と言ふに、樊噲がいはく、「大礼(たいれい)はいとま申さず、大勢は小事をかへりみず。今、人は刀・俎板(まないた)のやうなり。われは魚のごとし。これほどにきはまりぬることに、何かあるべからず」と言ひて、「逃げね」と言ふ。その時に、「項羽が軍(いくさ)四十万百万と号し、沛公か軍わづかに十万二十万と号す。少しも及ぶべからず。さる上に、者ども城にあれば、備ふべからず。よしなし」とて((「よしなしとて」は、底本「よしなしとても」。底本の異本注記により「も」を削除。))、少々具したりつる馬・兵をも、乗りたる車をも捨てて、馬に乗りて、樊噲以下四人ばかりを、かち走りにて、閑道より逃げ去りぬ。 [[m_karakagami3-01|<>]] ===== 翻刻 ===== 雲あれはそれをしるしにてとそ申給ける御歳/s64r・m112 四十八にて沛公にそなり給ふそののち項羽(カウウ)と雍丘(ヨウキウ) と云所にて秦のいくさと合戦す漢の元年十月に 沛公の兵(ツハモノ)諸侯にさきたちて覇上(ハシヤウ)にいたる秦 の王子(ワウシ)子嬰(シエイ)皇帝の璽符(シフ)をたてまつりて降人にまいる 諸将共是をころさんと申す沛公(ハイコウ)のいはく降人をころ さむ事は不祥なりとて吏(リ)にあつけられぬ咸陽宮(カムヤウキウ) に入てやすまむとし給けるを樊噲(ハムクワイ)張良(チヤウリヤウ)いさめ申け れは秦の宝物の庫ともを封して覇上(ハシヤウ)にかへり たまひぬ秦の父老(フラウ)の苛法(カハウ)の政(マツリイニ)にくるしへるをめし つとへてのたまはく吾(ワレ)諸侯と約束(ヤクソク)して/s64l・m113 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/64 先関(クハン/セキ)に入むものを王とせむといひきわれすてに 最先(サイセム)にいれり王たるへしとて父老と三省(サムシヤウ)の 法を約したまふ人をころせらんものをは死(シ)せしめむ 人をやふり及ひ盗(ヌスミ)せらむものを罪にいたさむ此 外は秦の苛法(カハウ)をのそきすてよとそのたまひける 十一月に項(カウ)羽諸侯の兵を率て関にいらむとする に関門とちたりと聞て大に怒て函谷関をやふり て戯(キ)と云所にいたりつ沛公の臣(シム)曹無傷(サウムシヤウ)と云もの 項羽にちうけんをして沛公天下をとらむとすと云 項羽大に怒て鴻門(コウモン)と云所へ沛公をよひて酒盛せん/s65r・m114 と云そらことをして沛公をうたむとすよはれて 沛公おほかたさる事なしとあらかひ給ふ項羽 かいはくこれは沛公の左司馬(サシイハ)曹無傷(サウムシヤウ)か告(ツケ)申たる なりしからすはいかてかしらんとていかさまにもし はしととまり給へ酒のまむとてあらあらしきけし きしてととめをきつ項羽(カウウ)項伯(ハク)は東に対てをり亜(ア) 父(フ)は南にむかひてをり亜父と云は項羽かたのみたる もの也沛公は北にむかひてをり張良は西にむかひて 侍り亜父玉玦(キヨクフノ)をもたけて項羽に目くはせす是 沛公をうちころせと云こころ也かやうに三たひまて/s65l・m115 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/65 すれとも項羽おほかた心得すしておもひよらす亜 父座(サ)をたちて項庄(サウ)といふものをよひていはく項羽 人のはからひにしたかはす汝入て酒もりにいはひ ことするやうにて剱(ケム)をぬきて舞(マヒ)てはてかたに さりけなくて沛公をうちころせしからすは われらかともから沛公にうたれなむすと云 項庄かへり入て亜父かをしへのままにするに項伯(カウハク) といふものその庄にあり項羽の一家にてあれとも世 の道理をしりて沛公かむなしくころされん事 をあはれみて又剱をぬきて舞けりさりけなくて/s66r・m116 沛公をたちかくしてうたせす張良この事をみ るにあさましくて座(サ)をたちて門へ出て樊噲(ハムクワイ)と いふものにあふ樊噲は沛公かたのみたるもの也けふの 事はいかかなりぬるととふに沛公(イ今ハ)かなふましき にこそといへは樊噲大におとろきて今はかきり にこそわれおなしところにてしなむといひて門をいるに 門をかためたるものいかに荒涼にはいるそとて制す るにたてをもちてかためたるものをつきおとして をし入ぬ幕(マク)をかかけて西にむかひてたてり大に 怒(イカリ)て項羽をみる頭(カシラ)の髪(カミ)すちことにいよたち(堅)目を/s66l・m117 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/66 みはりたれはまなしりみなさけたり項羽おち おそれて剱をとりてひさまつきてあれはなにもの そととふに張良(チヤウリヤウ)かまうさく沛公の臣樊噲(ハムクワイ)と云もの なり酒のませよとて一斗いる盃にて酒をのます 樊噲よろこふまねにてことともせすたちなから のみつ項羽肴(サカナ)たまへと云に彘(ヰ)のなましきかた ひとつとらす樊噲たてをつらにうつふせり彘の かたをたちぬきて切てくふ項羽あまりのおそろし さに又ゆゆしき武者なりといひて又のみてん やと云に樊噲かいはくいのちをめすとても辞(ジ)し/s67r・m118 申へきにあらすまして一斗の酒もののかすに侍らす さては秦国の王あさましき人にて天下みなそむ けり項羽是をうたんとすとききて沛公も力をあ はせむとて覇上と云所に城をかまへてまち申き それに人をうたむとする事いふかひなき事也秦 の国のほろひなむとするにことならす項羽の次第 けういていなりといひののしるに項羽いひふせられ てものもいはすたたたん(イ便ヒン)なくたちなからはいかに 云そとわななきいひ出したりけれは是も道理にて 張良もゐよとは(イニハ)からへは樊噲やかて張良かかたはら/s67l・m119 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/67 にゐぬ沛公すへきやうもなくて厠(カハヤ)へまからむと 云そらことをして座を立ぬ樊噲をひそかによひ出し てにけなむとす項羽人をして沛公をよはしむ 沛公かおもはくいとまを申さすゆるしなくて 出ぬいまめしかへさ(イニラ)るにはいかかせんすると云に樊噲 か云く大礼(タイレイ)はいとま申さす大勢は小事をかへりみす 今人はかたなまないたのやうなりわれは魚のことし これほとにきわまりぬることになにかあるへからす といひてにけねと云その時に項羽かいくさ四十万百万 と号し沛公かいくさわつかに十万二十万と号/s68r・m120 す少もおよふへからすさるうへにものとも城にあれ はそなふへからすよしなしとても(イナシ)少々くした りつる馬兵をものりたる車をもすてて 馬にのりて樊噲以下四人はかりをかちはしり にて閑道よりにけさりぬそののちたひたひいくさ/s68l・m121 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/68