[[index.html|唐鏡]] 第三 漢高祖より景帝にいたる ====== 1 漢 高祖(1) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami2-31|<>]] 秦の次の国をば漢と号す。火徳なり。第一の帝王をば高祖((劉邦))と申しき。帝尭の末なり。姓は劉氏、諱(いみな)は邙(ばう)、字は季、父を太公と申す。母を劉媼(りうあう)と申しき。 劉媼、昔、大沢(たいたく)((底本表記「太沢」。))の陂(つつみ)に休み給ひしに、夢に神(しん)と会ふと見給ひて、孕(はら)み給ひぬ。さて、高祖を生み奉り。高祖、隆準(りうしゆん)にして竜顔(りうがん)あり。鬚髯(しゆぜん)うるはしくおはしましき。また、左の股に七十二の黒子(ははくそ)ありき。仁ありて人を愛し、酒を買ひ色をぞ好み給ひける。 酒に酔(ゑ)ひて寝給ふに、常に竜怪のたくましけり。呂公(りよこう)といふ相人ありけり。「若かりし時は、里人を相すること多けれども、この高祖ほどの相はなかりき」と申して、かしづきて、持ちたりける女子(おむなご)を婚(あ)はせむとするに、呂公の妻のいはく、「常にこの娘を奇して、貴人に与へんと思ひて、沛(はい)の令(れい)などが申すをも聞かず、なんぞみだりにこの人に与ふべきや」と申すに、呂公がいはく、「これは児女子の知れらむところにはあらじ」とて、つひに高祖に奉りつ。呂后((呂雉))と申して、孝恵(かうけい)((恵帝。底本「帝」と異本注記))・魯元((魯元公主。底本「ロゲ/クミ/グハン」と読み仮名及び注。))の御母はこれなり。 高祖、泗水(しすい)の亭の長となりて、竹皮(ちくひ)をもて冠(かぶり)にし給ひける。 高祖、夜更けて沢中(たくちう)を渡り給ふことありしに、ひとりの前行の者いはく、「前に大きなる蛇ありて、道にあたれり。願はくは帰りなん」と言ふ。高祖、酔(ゑ)ひて((底本「酔」に「ユイ」と読み仮名。))のたまはく、「壮士(さうし)((底本「コウシ」と読み仮名。))行く、何の恐しきことのあらむ」とて進みて、剣を抜きて、蛇を切り給ひつ。蛇、二つとなりて、径(みち)ひらけぬれば、行きつつ酔ひて、なほ寝給へり。 御供にさがりたる人、蛇の所に至るに、一つの老いたる嫗(うば)ありて、夜哭(やこく)しけるを、「など、かくは泣くぞ」と問ひければ、「人、わが子を殺せり」と言ふ。「などその子をば((「をば」は底本「ば」なし。底本の異本注記により補う。))殺されたるぞ」と問ふに、嫗のいはく、「わが子は白帝の子なり。化して蛇となりて、道にありつるを((「道にありつるを」は底本「道をありつるを」。内閣文庫本により訂正。))赤帝の子のために切られぬ」とぞ申しける。このよしを高祖に申しければ、御心に頼もしくぞ思(おぼ)しける。 秦の始皇((始皇帝))、「常に東南に天子の気あり」とて呪ひ給ひければ、高祖はみづから逃げて、芒碭(ばうたう)((芒碭山))の山沢の間に隠れ給ふに、呂后、知りて行き給ふ。高祖は、「いかにして知り給ふぞ」と問ふに、高祖の居給へる上に常に紫の雲あれば、それをしるしにて」とぞ申し給ひける。 [[m_karakagami2-31|<>]] ===== 翻刻 ===== 唐鏡第三  漢高祖より景帝にいたる 秦の次国をは漢(カム)と号す火(クワ)徳なり第一の帝王 をは高祖と申き帝尭(ケウ)のすゑ也姓は劉氏(リウシ)諱(イミナ)は邙(バウ) 字は季(キ)父(チチ)を太公(タイコウ)と申母を劉媼(リウアウ)と申き劉媼(リウアウ)むかし 太沢(タイタク)の陂(ツツミ)にやすみ給ひしに夢に神(シム)とあふとみ給て はらみ給ぬさて高祖をうみたてまつり高祖 隆準(リウシユン)にして龍顔(リウカン)あり鬚髯(シユセン)うるはしくおはし ましき又左の股に七十二の黒子(ハハクソ)ありき仁ありて 人を愛し酒をかひ色をそ好給ける酒に酔て /s62l・m109 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/62 ねたまふに常に龍怪(ケイ)のたくましけり呂公(リヨコウ)と云相人 ありけりわかかりし時は里人を相する事多けれ とも此高祖ほとの相はなかりきと申てかしつき てもちたりけるおむな子をあはせむとするに 呂公の妻のいはくつねにこのむすめを奇して 貴人にあたえんとおもひて沛(ハイ)の令(レイ)なとか申をも きかすなんそみたりに此人にあたふへきやと 申すに呂公かいはく是は児女子(ジヂヨシ)のしれらむ所 にはあらしとて遂に高祖にたてまつりつ呂 后と申て孝恵(カウケイ)(イ帝)魯元(ロゲ/クミ/グハン)の御母は是也高祖泗水(シスイ)の亭/s63r・m110 の長となりて竹皮(チクヒ)をもて冠(カフリ)にしたまひける 高祖夜ふけて沢中(タクチウ)をわたりたまふ事ありし にひとりの前行(カウ)のものいはく前に大なる蛇有て みちにあたれりねかはくはかへりなんと云高祖 酔(ユイ)てのたまはく壮士(コウシ)ゆくなにのおそろしき 事のあらむとてすすみて剱をぬきて蛇を切給 つ蛇二となりて径(ミチ)ひらけぬれはゆきつつ酔 てなをね給へり御ともにさかりたる人蛇 の所にいたるに一の老たる嫗(ムハ)ありて夜哭(コク)しけ るをなとかくはなくそととひけれは人わか子を/s63l・m111 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/63 ころせりと云なとその子を(イニハ)ころされたるそと とふに嫗のいはくわか子は白帝の子なり化して 蛇と成て道をありつるを赤帝(セキテイ)の子のためにきら れぬとそ申ける此由を高祖に申けれは御心に たのもしくそおほしける秦始皇(シムノシクワウ)つねに東南に 天子の気ありとてのろひ給ひけれは高祖はみつ からにけて芒碭の山沢の間にかくれたまふに呂后 しりてゆき給ふ高祖はいかにしてしりたまふ そととふに高祖の居たまへる上につねに紫の 雲あれはそれをしるしにてとそ申給ける御歳/s64r・m112 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/64