[[index.html|唐鏡]] 第二 周の始めより秦にいたる ====== 30 秦 二世皇帝(胡亥) ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami2-29|<>]] 二世皇帝は((胡亥))始皇((始皇帝))の子なり。趙高(てうかう)を頼みて政を任せたり。 この時、日月薄触(はくしよく)の変おひたたしかりき。大臣及びもろもろの公子、罪せられぬは少なし。かかるままに、六国の後どもみな王となり、謀叛の者のみ多く聞こゆ。左右の丞相、あるいは自殺し、あるいは殺されぬ。これみな趙高が謀(はかりごと)なり。 趙高、丞相となりぬ。いよいよ世の中を心にまかせたり。世を乱(みだ)らんと思ふに、群臣の聞かざらんことを怖ぢて、人の心を見んため、鹿を二世に奉りて馬と申す。二世、笑ひて、「丞相誤れり。鹿を言ひて馬とす」とて、左右に問ひ給ふに、何とも申さぬものもあり、また趙高に阿(おもね)りて、馬と申す者もあり。鹿と申す者をば、趙高、罪にあてつ。いよいよ群臣、趙高をぞ怖ぢ恐れし。ある説には、二世行幸ありけるに、趙高、鹿を馬として乗りて供奉せりとも申せり。あまりになりければ、趙高をよからず思ひ給ひぬ。 さるままには、趙高も心を置き奉りて、二世を失なひ奉らんとす。聟にて閻楽といひける者を教へて、二世の宮(きう)へ入れつ。何ともなく、上下うちあひて死するもの数十人なり。また二世の帷(かたびら)を射るに、二世怒(いか)りて人を召せども、人もさし出でず。 閻楽、やがて二世のもとに近付きて、責めていはく、「足下(そつか)、驕(おご)りほしままにして、人を殺すこと無道なれば、天下みなそむく。足下、世の中のことを、あひはからはるべし」と言ふに、二世のいはく、「丞相あひなんや」。閻楽がいはく、「かなふべからず」。二世のいはく、「一群を得て王たらん」。閻楽がいはく、「あるべからず」。二世のいはく、「さらば万戸の封(ほう)ばかりを得む」。閻楽がいはく、「あるべからず」。二世のいはく、「さらば妻子ばかりをあひ具して、民にてあらむ」。閻楽がいはく、「われ丞相の命を受けて、天下のために足下を誅す。足下多言すとも、あへて報ぜじ」と言ひて、兵をさし招くに、二世自殺し給ひぬ。帝王を足下といふことは、あるべくもなけれども、せめて物の数ならず思ふよしなり。 その後、趙高代はりて位につかんとするに、宮殿揺(ゆる)ぎてこぼれんとすること三度までなり。趙高、「天も人も受けざりけり」と思ひてとどまりぬ。すなはち、扶蘇の子、子嬰(しえい)を立つ。 二世は在位三年、年二十三なり。民の例にてぞ送り奉りける。 [[m_karakagami2-29|<>]] ===== 翻刻 ===== 二世皇帝は始皇の子なり趙高をたのみて政をまかせたり此時 日月薄触(ハクシヨク)の変おひたたしかりき大臣をよびもろもろの公子 罪せられぬはすくなしかかるままに六国の後ともみな王と なり謀叛のもののみおほくきこゆ左右の丞相或は自殺し 或はころされぬこれみな趙高かはかりことなり趙 高丞相となりぬいよいよ世の中を心にまかせたり世をみた らんとおもふに群臣のきかさらん事ををちて人の心をみん ため鹿を二世にたてまつりて馬と申す二世わらひて丞相 あやまれり鹿をいひて馬とすとて左右にとひ給ふになに とも申さぬものもあり又趙高に阿(オモネリ)て馬と申すものも/s54l・m99 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/54 あり鹿と申ものをは趙高罪にあてついよいよ群臣趙高を そおちをそれし或説には二世行幸ありけるに趙高鹿を馬 としてのりて供奉せりとも申せりあまりになりけれは 趙高をよからすおもひ給ぬさるままには趙高も心ををき奉りて 二世をうしなひたてまつらんとす聟にて閻(エン)楽といひける ものををしへて二世の宮(キウ)へいれつなにともなく上下うち あひて死するもの数十人なり又二世の帷(カタヒラ)を射に二 世いかりて人をめせとも人もさしいてす閻楽やかて二世 のもとにちかつきてせめていはく足下をこりほしままにして 人をころす事無道なれは天下みなそむく足下世の中の/s55r・m100 事をあひはからはるへしといふに二世のいはく丞相あひなんや 閻楽かいはくかなふへからす二世のいはく一群を得て王たらん 閻楽かいはくあるへからす二世のいはくさらは万戸(コ)の封(ホウ)はかりをえ む閻楽かいはくあるへからす二世のいはくさらは妻子はかりをあひ くして民にてあらむ閻楽かいはく我丞相の命をうけて天下 のために足下を誅す足下多言すともあへて報せしといひ て兵をさしまねくに二世自殺し給ぬ帝王を足下といふ 事はあるへくもなけれともせめてもののかすならすおもふよ しなりそののち趙高かはりて位につかんとするに宮殿 ゆるきてこほれんとする事三度まてなり趙高天も/s55l・m101 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/55 人もうけさりけりとおもひてととまりぬすなはち 扶蘇の子子嬰(シエイ)をたつ二世は在位三年とし廿三なり民の れいにてそ送たてまつりける/s56r・m102 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/56