[[index.html|唐鏡]] 第二 周の始めより秦にいたる
====== 25 燕 恵王 ======
===== 校訂本文 =====
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恵王の時、鄒衍(すうえん)といふ者あり。賢なるを讒(ざん)する人ありければ、恵王、繋囚((底本「繋」と「囚」にそれぞれ「トラヘ」と読み仮名。))せらる。鄒子、天を仰ぎて哭するに、五月に天より霜を降らす。
ある説には、鄒衍、貧しうして人の牛羊を牧(か)ふに、群牛((底本「多牛コト也」と傍注。))ありて、人の田の禾豆(あはまめ)を食ひて去りぬ。鄒衍そのあとに来たれるに、「鄒衍が牛ぞ食ひたりつらむ」とて、田主、鄒衍を打つことはなはだし。天に仰ぎて天を怨むるに、六月に霜を降らすとも申せり。
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===== 翻刻 =====
且思(オモフ)之(ヲ)況其人乎と太史公ほめたり恵王の時鄒衍(スウヱン)といふ
ものあり賢なるを讒する人ありけれは恵王繋(トラヘ)囚(トラヘ)ら
る鄒子天を仰て哭するに五月に天より霜を降す/s49l・m89
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/49
或説には鄒衍貧(マツシウ)して人の牛羊を牧(カウ)に群牛(多牛コト也)ありて人の田
の禾豆(アハマメ)を食てさりぬ鄒衍その跡に来(キタ)れるに鄒衍か牛
そ食たりつらむとて田主鄒衍を打こと甚し天に仰て
天を怨(ウラムル)に六月に霜を降とも申せり/s50r・m90
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/50