[[index.html|唐鏡]] 第二 周の始めより秦にいたる ====== 15 周 哀王 ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami2-14|<>]] 第三十の主をば哀王と申しき。貞定王の御子なり。位に即きて三月と申ししに、弟叔龔((叔襲))、この王を殺し奉りて、みづから位に即き給ひき。思王とぞ申しし。この王、また末の御弟のために、また殺され給ひき。あさましかりきことどもなりき。 [[m_karakagami2-14|<>]] ===== 翻刻 ===== 第卅の主をは哀(アイ)王と申き貞定王の御子也位につきて三 月と申しに弟叔龔(クヰヨウ)この王をころしたてまつりてみつから 位に即給き思王とそ申しこの王又すゑの御弟のために またころされ給き浅ましかりき事ともなりき/s42l・m75 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/42