[[index.html|唐鏡]] 第二 周の始めより秦にいたる ====== 10 周 荘王 ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami2-09|<>]] 第十六の主を荘王と申しき。この王の十一年は魯の荘公の七年辛亥(かのとい)、恒星見えずして星の殯(お)つること雨のごとし。また頭陀寺(づだじ)の碑文(ひもん)((『文選』巻59))に、「周魯二荘親昭夜景之鑑。(周魯の二荘、親(みづか)ら夜景之鑑(かん)を昭(あきら)かにす。)」。注に云はく、「周荘王魯荘公時夜恒星不見。謂夜明也。乃仏生之日也。(周荘王・魯荘公の時、夜恒星見えず。夜明を謂ふ也。すなはち仏生の日也)」。この文のごとくは、信をとるべきにや。 但し、昭王二十四年より、この王の十一年までは、三百四十四年なり。そこばくの相違は、凡慮のはかるべきにあらず。 [[m_karakagami2-09|<>]] ===== 翻刻 ===== 第十六の主を荘(セウ)王と申きこの王の十一年は魯(ロノ)荘公の七 年辛亥(カノトノイ)恒星(コウセイ)不見(ミエスシテ)星殯(ホシノヲツル)こと雨のことし又頭(ツ) 陀寺(タシノ)碑文(ヒモン)に周魯(シウロノ)二荘(サウ)親(ミツカラ)昭(アキラカニス)夜景之鑑(ノカンヲ)注(チウニ)云(ク)周荘王魯 荘公時夜(ヨル)恒星(コウセイ)不(ス)見(ミヘ)謂(イフ)夜明(ヲ)也乃仏生之日也この文の ことくは信をとるへきにや但昭王廿四年よりこの王の 十一年まては三百四十四年也そこはくの相違は凡慮の/s40l・m71 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/40 はかるへきにあらす/s41r・m72 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/41