[[index.html|唐鏡]] 第二 周の始めより秦にいたる ====== 9 周 幽王 ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami2-08|<>]] 第十二の主をば幽王と申しき。宣王の御子なり。位につき給ひて二年といふ春、山川みな震動す。伯陽甫といふ人の申けるは、「周はまさに亡びなんとす。昔、渭洛(いらく)((底本表記「伊洛」。[[m_karakagami1-12]]では渭洛。))竭(つ)きて夏亡び、河((黄河))竭きて商亡びたりき。国は必ず山川による。山崩れ、河竭きなば、亡びの徴(しるし)((底本「徴」に「シツル」と読み仮名。))なり。川竭く時は山必ず崩る。国の亡びむこと十年に過ぎじ」とぞ歎かれける。 次の年、王、褒姒(ほうじ)を愛し給ふ。褒姒、伯服を生めり。王、申侯の女(むすめ)を捨てて、褒姒を后とし、伯服を太子とし給へり。「世はすでに失せぬ」とぞ、群臣歎き申しける。 この褒姒、笑ふことを好まず。王、「いかにして笑はせむ」と思して、万方すれども、笑ひ給はず。烽((のろし。底本「トフヒ」と読み仮名。))とて、敵(かたき)の至ることある時、この火を上ぐれば、「こと出で来たり」とて、諸侯とも参り集まる((「集まる」は底本「あすまる」。内閣文庫本により訂正。))。王、よろづのことをし給ふあまり、この烽を上げ給ふに、そこらの人々、国々より参り集まるに、何事もなかりけるを、褒姒、大きに笑ひ給へば、王、喜びて、常に烽を上げ給ひけり。あまりにしげくなりければ、のちのちには参らずなりにけり。 前(さき)の后の父申侯(しんかう)、怒りのあまり、西夷(せいい)をともなひて、王を攻め奉る。王、烽を上げて兵を召せども、さきざきに習ひて、一人も参る者なければ、防ぎ戦ふ人もなくして、驪山(りざん)の下にはかなくなり給ひぬ。褒姒をは生け捕りにし侍りけり。 桀が末嬉(まつき)、紂が妲己(だつき)、この王の褒姒、国を亡ぼし君を失なひ奉る。ある説に狐狸の変化とも申せり。((底本「十三携王十四平王十五桓王十六荘王記」と異本注記。)) [[m_karakagami2-08|<>]] ===== 翻刻 ===== 第十二の主をは幽(イフ)王と申き宣王の御子也位につき給て 二年といふ春山川皆震動(シントウ)す伯陽甫といふひとの申 けるは周はまさにほろひなんとすむかし伊洛(イラク)竭(ツキ)て夏(カ) 亡ひ河竭(ツキ)て商(シヤウ)亡たりき国はかならす山川による山くつ れ河竭は亡の徴(シツル)なり川竭ときは山かならすくつる 国のほろひむ事十年にすきしとそなけかれける 次の年王褒姒(ホウジ)を愛(アイ)し給褒姒伯服(ハクフク)をむめり王申 侯女(カウムスメ)をすてて褒姒を后とし伯服を太子とし給へり世 はすてにうせぬとそ群臣なけき申けるこの褒姒咲(ハラフ)/s39l・m69 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/39 ことをこのます王いかにして咲せむとおほして萬方 すれとも咲たまはす烽(トフヒ)とてかたきのいたることある時この火 をあくれはこといてきたりとて諸侯ともまいりあすまる 王よろつの事をし給あまりこの烽をあけたまふにそこ らの人々国々よりまいりあつまるに何事もなかりけるを 褒姒大に咲給へは王よろこひて常に烽をあけ給けり あまりにしけくなりけれはのちのちにはまいらすなりに けりさきの后の父申侯(シンカウ)怒(イカリ)のあまり西夷(セイイ)をともなひて 王をせめたてまつる王烽をあけて兵をめせともさき さきにならひてひとりもまいるものなけれはふせきたた/s40r・m70 かふひともなくして驪山の下にはかなくなり給ぬ褒 姒をはいけとりにし侍けり桀(ケツ)か末嬉(マツキ)紂か妲己(タツキ)この王の褒 姒国をほろほし君をうしなひたてまつる或説に狐(コ) 狸(リ)の変化とも申せり イ 十三携王十四平王 十五桓王十六荘王記/s40l・m71 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/40