[[index.html|唐鏡]] 第二 周の始めより秦にいたる
====== 8 周 宣王 ======
===== 校訂本文 =====
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第十一の主をば宣王と申しき。周公((周定公))・召公((穆公))、政(まつりごと)をたすけて文武成康の遺風((成王・康王の安定した統治期間。))をあふぎて、国中興ぜしかば((「興」は底本「與」。内閣文庫本により訂正。))、諸侯多く帰し奉れり。
四十四年に杜伯(とはく)といひし人の、罪なかりしを殺されしに、杜伯が申けるは、「三年といはんに、必ず王にしられ奉らん」とて死ぬ。四十六に、王略し給ひけるに、日中に杜伯朱衣((底本「朱衣」に「アカキコロモ」と読み仮名。))を着、朱弓を取り、道の左に立ちて王を射奉るに、王すなはち失せ給ひぬ。
君なればとて、罪なからんものを誅せられむは、天も神もいかでかうけ給ふべき。
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===== 翻刻 =====
第十一の主をは宣王と申き周公召公政をたすけて文武(フンフ)
成康(セイカウ)の遺風をあふきて国中與せしかは諸侯多く
帰したてまつれり四十四年に杜伯(トハク・インイニ)といひしひとの
罪なかりしをころされしに杜伯か申けるは三年と
いはんにかならす王にしられたてまつらんとて死ぬ四
十六に王略し給けるに日中に杜伯朱衣(アカキコロモ)をき朱弓
をとり道の左に立て王を射たてまつるに王則失給ぬ
君なれはとて罪なからんものを誅せられむは天も神もいかてか/s39r・m68
うけ給へき/s39l・m69
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/39