[[index.html|唐鏡]] 第二 周の始めより秦にいたる ====== 3 周 成王 ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami2-02|<>]] 第二の主をば成王と申しき。武王の長子、御母は邑姜なり。幼にして位に即(つ)き給ふ。叔父周公旦、南面して、代りて諸侯を朝ぜしめ、成王をば((底本「成王をば」なし。異本注記により補入。))抱(いだ)き奉りて、政(まつりごと)を行ひ給ふ。 周公((周公旦))の群弟(ぐんてい)たち流言して、「周公は君に利あらじ」とて、紂が子武庚(ぶかう)と乱をなす。周公、成王の命を承りて、管叔((管叔鮮))・蔡叔((蔡叔度))・武庚らを誅せられぬ。 周公、礼を制し楽を作りて、宗廟(そうべう)・明堂(めいだう)を立て、后稷(こうしよく)を祭らる。周公摂政七年の冬、政(まつりごと)を成王に返し奉りて、群臣の位に即き給ふ。このとき、成王御年二十なり。次の年、正月より、成王みづから御政せさせ給ふ。 周公をば大師になし奉りて、その御子伯禽((底本「ハキン」と読み仮名。))は魯国に封ぜらる((「封ぜらる」は底本「封すらる」。諸本により訂正。))。周公、伯禽にいましめられけるは、「われは文王の子、武王の弟、今王の叔父、天下に於ていやしからず。なんぢ、魯国にて人に驕ることなかれ」となり。御教へねんごろにこそ侍れ。周公、朝に百篇の書を読み、夕には七十士を見給ふ。やむごとなき御事なり。 成王、御弟の唐叔虞(たうしゆくぐ)と桐樹の下に遊び給ふ。成王戯れて、桐葉を削りて珪(けい)として、「叔虞を封じて唐侯((「唐侯」は底本「應侯」。以下すべて同じ。))とせん」とのたまはすれば、周公聞きて賀し((底本「賀」に「ヨロコブ」と傍注。))給ふ。成王((底本「成」なし。異本注記により補う。))、「われ戯れつ」とのたまひければ、周公、「天子は戯れの言なし」と申させ給ひけるによりて、遂に唐侯に封ぜられぬ。 昔、成王若くして病し給ひける時、周公みづから爪を切りて、河に洗ひて神に祈りていはく、「王若くしていまだ物知り給はず。神の命を犯すはわれなり」とて祈り申すに、成王の病癒え給ひぬ。その文(ふみ)を倉に納め置きつ。 成王おとなしくなり給ひて、政をし給ふとき、ある人、周公を讒言申すによりて、周公恐れをなして、楚といふ国へ行きぬ。成王、倉を開きて見給ふに、周公のわが病を祈りし文あり。成王これを御覧じて、すなはち泣いて周公を呼び返し給ふ。周公、もとのごとく異心なくして成王を助け給ふこと、年を経(へ)にけり。 周公は年九十九にて失せ給ひぬ。成王、悼(いた)み慕(した)ひ給ふことかぎりなし。諡(おくりな)をば周文公とぞ申しける。 成王は在位三十七年、御年五十なり。 [[m_karakagami2-02|<>]] ===== 翻刻 ===== 第二の主をは成王と申き武王の長子御母は邑姜なり 幼にして位に即給ふ叔父周公旦南面して代て諸侯 を朝せしめ(イ成王ヲハ)いたきたてまつりて政を行ひ給周公の/s34l・m59 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/34 群弟(グンテイ)たち流言して周公は君に利あらしとて紂か子武庚(ブカウ)と 乱をなす周公成王の命を承て管叔(クワンシユク)蔡叔武庚等を誅せら れぬ周公礼を制(セイ)し楽を作て宗廟明堂(ソウヘウメイタウ)を立て后稷(コウシヨク) を祭らる周公摂政七年の冬政を成王にかへしたて まつりて群臣の位に即給このとき成王御とし廿なり つきのとし正月より成王みつから御政せさせ給周公を は大師になしたてまつりて其御子伯禽(ハキン)は魯国(ロコク) に封(ホウ)すらる周公伯禽にいましめられけるは我は文王の子 武王の弟今王の叔父天下に於ていやしからす汝魯 国にて人に驕(ヲコル)ことなかれとなり御をしへねんころにこ/s35r・m60 そ侍れ周公朝に百篇(ヘン)の書を読み夕には七十士を見給や むことなき御事也成王御弟唐叔虞(タウシユクグ)と桐樹の下に遊ひ 給成王戯れて桐葉を削(ケツリ)て珪(ケイ)として叔虞を封して 應侯とせんとのたまはすれは周公聞て賀(ヨロコブ)し給(成イ)王我れ戯つと のたまひけれは周公天子は戯の言なしと申させ給けるに よりて遂に應侯に封せられぬ昔成王わかくして病 し給ける時周公みつから爪をきりて河に洗て神に いのりていはく王わかくしていまた物しりたまはす神の 命をおかすは我也とていのり申に成王の病いへ給ぬ 其ふみを倉におさめをきつ成王おとなしく成たまゐて/s35l・m61 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/35 政をし給ふとき或人周公を讒(ザン)言申によりて周公 おそれを成て楚といふ国へ行ぬ成王倉をひらきて 見たまふに周公の我か病をいのりし文あり成王これ を御覧してすなはち泣(ナイ)て周公をよひかへし給周公 もとのことく異心(イシン)なくして成王をたすけ給事としを 経にけり周公は年九十九にてうせたまゐぬ成王いた みしたひ給ことかきりなし諡(ヲクリナ)をは周文公とそ申 ける成王は在位卅七年御とし五十なり/s36r・m62 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/36