[[index.html|唐鏡]] 第一 伏羲氏より殷の時にいたる ====== 13 殷 成湯 ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami1-12|<>]] この次の国をば殷と号す。水徳。第一の帝をば成湯と申しき。黄帝十八世の孫(そん)、主癸(しゆき)の子なり。母をば枝都((扶都))と申す。白気の月を貫くを見て、意に感じて乙の月生み奉れり。このゆゑ天乙とも申せり。身の長九尺、四つの肘まします。 夏の桀を滅ぼして位につき給ふ。伊尹(いゐん)と申す賢臣あり。この人は夏の桀が臣なりしが、諫言をも用ゐず無道なれば、逃げて隠れゐたりしを、湯、聘迎(へいげい)せしめ給ひしかば、鼎俎(ていそ)を負ひて参れり。政道を問はるるに、賢才なれば、一向国の政を任じて阿衡(あかう)と名のられき。 この御時、七年の間雨降らずして、旱魃(かんばち)あさましかりしかば、山川に祈り請はるるも、そのしるしなし。湯帝みづから御髪を切り爪を断ちて、御身を牲(いけにへ)として、桑林(さうりん)の社(やしろ)へ祈らせ給ひ、また六事をもてみうから御身を責めて、ねんごろに泣かせ給ひしかば、すなはち天より雨くだりて、天下ことに豊年なりき。 この御時、服色白きをぞさきとせられし。朝会の儀は昼ぞ行なはれし。 在位十三年、御年一百歳なりき。((底本、「第二外丙(湯次子大丁早卒故立之)第三仲壬(外丙弟)」と異本注記。)) [[m_karakagami1-12|<>]] ===== 翻刻 ===== この次国をは殷と号す水徳第一の帝をは成湯と申き黄 帝十八世の孫(ソン)主癸(シユクヰ)の子なり母をは枝都と申す白気の月を 貫を見て意に感して乙の月むみたてまつれりこのゆへ 天乙とも申せり身の長九尺四の肘まします夏の桀をほろ ほして位につき給ふ伊尹(イヰン)と申す賢臣ありこの人は夏桀か 臣なりしか諫言をも用す無道なれはにけてかくれゐたりし を湯(タウ)𬚒迎(ヘイケイ)せしめ給しかは鼎俎(テイソ)を負てまいれり政道をと/s21r・m40 はるるに賢才なれは一向国の政を任して阿衡(アカウ)と名られきこの 御時七年のあひた雨ふらすして旱魃(カンハチ)あさましかりしかは 山川にいのり請るるもそのしるしなし湯帝みつから御髪を きりつめをたちて御身を牲(イケニヘ)として桑林(サウリン)の社(ヤシロ)へいのらせ給ひ又 六事をもてみつから御身をせめてねんころになかせ給しかは すなはち天より雨くたりて天下ことに豊(ホウ)年なりきこの御 時服色しろきをそさきとせられし朝会の儀は昼(ヒル)そをこ なはれし在位十三年御とし一百歳なりき イニ 第二外丙(湯次子大丁早卒故立之)第三仲壬(外丙弟)/s21l・m41 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/21