[[index.html|唐鏡]] 第一 伏羲氏より殷の時にいたる ====== 9 帝尭 ====== ===== 校訂本文 ===== [[m_karakagami1-08|<>]] 次は帝尭(げう)と申す。火徳。名は放勲(はうくん)。黄帝の玄孫(やしはご)にして、帝嚳(ていこく)の御子なり。母を慶都(けいと)と申す。孕まれ給ひて、十四月にして生まれ給へり。眉には八采((底本「サイ/トル」と読み仮名。))まします。御身のたけ十尺なり。黄雲ありて、常にその上を覆ひ奉る。天を攀(よ)ぢて上ると、御夢に御覧ぜられて、御年二十にてぞ帝位にはつき給ひし。「就くこと日のごとし」と申すは、日の晴れたるに人の喜び集まるごとく、 帝徳に人の集まりつくなり。「望むこと雲のごとし」と申すも、帝徳広く大きにして、天下に覆ひたれば、世の人、雲のごとくに思ふなり。 日月星宿の行度(ぎやうど)をかんがへて、昼夜十二時を民に授け奉り給へり((「給へり」は底本なし。底本の異本注記により補う。))。春夏秋冬を分かちて日の長き短きをも定め給へり。閏月(じゆんげつ)を置くことも、この御時始まれり。 雲台の高さ三尺なり。土にて階(きだはし)をば作られて、ただ三寸なり。「茅茨(ばうし)剪(き)らず」とて御殿の萱茨の口を切らず、「棌椽(さいてん)削らず」とて垂木(たるき)なども削らず。これただ民の費(つひえ)せさせじの御心なり。 華封人(くわほうひと)、帝に申しけるは、「聖人なり。請ふ、聖人を祝(いの)りて、寿長からしめん」。尭の曰く、「いな((否の意。底本表記「辞な」。「辞」に「イ/ジ・コトバ」と注。注記による。以下同じ。))、富ましめん」。尭の曰く、「いな、男子多からしめん」。尭の曰く、「いな」。封人の曰く、「寿長く富むに男子多きは、人の願ふところなり。汝(なんぢ)独り願はざること何ぞ」。尭の曰く、「男子多ときは、則(すなはち)懼(おそれ)多し。富むときは、事多し。寿長きときは、辱(はぢ)多し。この三つのものは、徳を養ふゆゑにあらず。ゆゑに辞(じ)す」。封人の曰く、「始めは汝をもて聖人と思ひき。今、君子なり。天、民を生みて、女、職を授く。男子多くして、職を授くはは何の懼れかあらん。富みて人をして分けしめば、何の事かあらん。千歳に世を厭(いと)ひて、去りて仙に上りて、白雲に乗りて帝郷に至るは、三つの患へ至こと長くして身常に殃(やう)なくは、何の辱(はぢ)かあらん」となり。 「進善(しんぜん)の旌(せい)((旌は底本「強」に「ハウ」と読み仮名。旄(ばう)か。))」といふものあり。「天下の政(まつりごと)行なはるべきやうを人々の申さんとするが、何のたよりともなければ、この旌のもとに参りて申せ」とて、この旌を立てられき。また、「誹謗の木」とて、鳥居のやうなる物を立てて、板のあるに、天下の政の誤ちを人々書き付けたれば、これを御覧じて、御誤ちを改められき。 御政のやうを人の申すおもむきを知らせ給はんとて、あやしき御姿にて、夜は路に歩(あり)かせ給ひて、人の申しやうどもを聞き集めさせ給ひて、天下をはからひ治めさせ給しかば、御政いよいよめでたくて、人喜ばずといふことなかりき。 帝、酒をめし給ふこと、千鐘(ちぢさかづき)に及べり。また、酒を中衢((底本「チウク・チマタ」と読み仮名。))に置きて、去来の人恩に酔へりき。 蓂莢(めいげふ)といふ草、御殿の階のもとに生へたり。月の朔日(ついたち)、葉一つ出できて、十五日に十五の葉出でき、十六日より後、日ごとに一つの葉落ちて、三十日に落ち尽きぬ。これにて一月を定めらる。もし小月なれば、葉一つ落ちずして知られき。この君は、夏は葛衣(かちえ)を召して、冬は鹿裘(ろくきう)をぞ召されける。 囲碁(いき)((囲棋の誤りか。))を作らせ給ひてぞ、御子丹朱には教へさせ給ひける。尹寿(いんじう)といふ人、始めて鏡をぞ作りし。 この御時、九年まで洪水天に淊(ひた)したりしを、鯀(こん)といふ人、治めかたかりしかば((底本「治めかたち」で「ち」に「カリイ」と異本注記。異本注記にしたがう。))、羽山といふ所へ流しつかはしき。 この御時に十の日の出でて、草木の焦枯(せうこ)((底本「コカレカレ」と読み仮名。))侍りしこそ、あさましかりしか。尭、そのときに羿(げい)といふ人をして射させられしかば、九つの日を射落しつ。 帝、天下を許由(きよいう)に譲り給ふ。許由、これを聞きて潁水に遁(のが)れて耳を洗ふ。巣父(さうほ)、牛を牽(ひ)きてこの川を渡らんとするが、許由耳を洗ひて汚(けが)したる水なればとて、渡らずして還りぬ。 御在位九十八年、御年一百一十八歳なり。 [[m_karakagami1-08|<>]] ===== 翻刻 ===== 次は帝尭と申す火徳名は放勲(ハウクン)黄帝の玄孫(ヤシハコ)にして帝嚳 の御子也母を慶都(ケイト)と申すはらまれ給て十四月にして むまれ給へり眉(マユ)には八采(サイ/トル)まします御身のたけ十尺也黄雲 /s13l・m25 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/13 ありて常に其上をおほひたてまつる天を攀(ヨチ)て上と御夢 に御覧せられて御年廿にてそ帝位にはつき給し就(ツク)こと 日のことしと申すは日の晴たるに人のよろこひあつまることく 帝徳に人のあつまりつくなり望(ノソム)こと雲のことしと申も 帝徳ひろくおほきにして天下に覆(オホヒ)たれは世の人雲のことく に思なり日月星宿の行度をかんかへて昼夜十二時を民 に授(サツケ)たてまつり(給ヘリイ)春夏秋冬をわかちて日の長きみしかき をもさため給へり閏(シユン)月を置(ヲク)こともこの御時はしまれり 雲臺の高さ三尺なり土にて階(キタハシ)をは作られて只三寸なり茅(ハウ) 茨(シ)きらすとて御殿の萱茨のくちをきらす棌椽(サイテン)けつ/s14r・m26 らすとてたるきなともけつらすこれたた民のつひえせさせ しの御心なり華封人(クワホウヒト)帝に申けるは聖人なり請(コウ)聖人を 祝(イノリ)て寿なかからしめん尭の曰く辞(イ/ジ・コトバ)す冨しめん尭の曰辞す男子 多からしめん尭の曰く辞す封(ホウ)人の曰く寿なかく冨に男子多は 人のねかふところなり汝独りねかはさること何そ尭の曰く男子 多ときは則(スナハチ)懼(ヲソレ)多し冨ときは事多し寿なかきときは辱(ハチ)多し この三の者は徳を養ふゆへに非す故に辞す封人の曰く始は汝をもて 聖人とおもひき今君子なり天民を生て女職を授(サツ)く男子多 して職を授(サツ)は何の懼かあらん冨て人をして分しめは 何の事かあらん千歳に世を厭(イトヒ)て去て仙に上て白雲に乗て/s14l・m27 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/14 帝郷に至は三の患(ウレヘ)至ことなかくして身常に殃(ヤウ)なくは何の 辱(ハチ)かあらんとなり進善(シンセン)の強(ハウ)といふものあり天下の政(マツリコト)をこな はるへきやうを人々の申さんとするかなにのたよりともなけ れはこの旌のもとにまいりて申せとてこの旌をたてられき 又誹謗の木とて鳥居のやうなる物をたてて板(イタ)のあるに天下 の政のあやまちを人々かきつけたれはこれを御覧して御 あやまちをあらためられき御政のやうを人の申すおもむき をしらせ給はんとてあやしき御すかたにて夜は路に ありかせ給て人の申やうともをききあつめさせ給て天下を はからひおさめさせ給しかは御政いよいよめてたくて人よろ/s15r・m28 こはすといふことなかりき帝酒を飯給こと千鐘(チヂサカツキ)にをよへり又 酒を中衢(チウク・チマタ)に置て去来の人恩に酔へりき蓂莢(メイゲウ)といふ草御 殿の階のもとに生たり月の朔日(ツイタチ)葉(ハ)一いてきて十五日に十五 の葉(ハ)いてき十六日よりのち日ことに一の葉落て卅日に落つ きぬこれにて一月を定らる若小月なれは葉一落すして しられきこの君は夏は葛衣(カチエ)をめして冬は鹿裘(ロクキウ)をそめされける 囲碁(ヰキ)をつくらせ給てそ御子丹朱にはをしへさせ給ける尹(イン) 寿(ジウ)といふ人はしめて鏡をそつくりしこの御時九年まて 洪(コウ)水天に淊たりしを鯀(コン)といふ人治めかたち(カリイ)しかは羽(ウ)山といふとこ ろへなかしつかはしきこの御時に十の日のいてて草木の/s15l・m29 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/15 焦枯(コカレカレ)侍しこそあさましかりしか尭そのときに羿(ゲイ)といふ人を して射させられしかは九の日を射落しつ帝天下を許由(キヨイウ)に 譲たまふ許由これを聞て潁(ユイ)水に遁(ノカレ)て耳を洗ふ巣(サウ)父牛を 牽てこの川を渡らんとするか許由耳を洗て汚(ケカ)したる水 なれはとて渡すして還ぬ。御在位九十八年御とし一百一十八歳 なり/s16r・m30 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/16