唐物語 ====== 第21話 平原君と聞こゆる人三千人のつかはれ人を集めて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、平原君((底本「平元君」。諸本も同じだが、出典により訂正。))と聞こゆる人、三千人のつかはれ人を集めて、これを((底本「たれを」。諸本により訂正))あはれみ、ねんころに思ひけるに、この主(あるじ)の思ひ妻、高き楼の上に居て四方(よも)を見渡しけるに、足萎えたる者の、這ふ這ふゐざりつつ水を汲みに行きけり。左右の膝よりも、頭(かしら)なほ引き入りて、人の姿に似ず。世にをかしげなりければ、この女、思ひわくこともなくて、うち笑ひてけり。 声を聞きて、「我かかる病に煩ひて、年久しくなりぬ。今初めて人の笑ひ嘲るべきにあらず。これひとへに、君の色を好みて、つかはれ人を軽しめ給ふゆへなり。もし我を捨てぬ御心ならば、笑ひつる人を失なひ給ふべし」と強ひて主に愁ふるに、「おのれが愁へをやすむべし」とは言ひながら、さすがにあるべくもなきことなれば、その後月日を経るに、三千人のつかはれ人、やうやう数少なくなりゆくを、「我、いささかも過つことなし。しかれども、恨みをいだきて遁れ去るも心知り難し」と、おのおのに言ひ下せり。 この中に、殊(こと)に詳(つまび)らかなる者、申していはく、「君、この片輪人をすかし給へり。これ我らが身の上にあらずや。もし、かくのごときならば、なにを頼もしと思ひてか、身を捨て心を励まして、君に仕へ奉るべき」と言へり。主、これを聞きて、浅からぬ年ごろのむつまじさをもかへりみず、この女をたちまちに殺してけり。片輪人(かたはびと)これを見て心ゆきぬ。また、その外のつかはれ人ども、元のごとく帰りにけり。   思ひきやただうち笑みし言の葉の死出の山路に散らんものとは 足萎えたるつかはれ人一人に、顔美しき人を代へ((底本「かつ」で「つ」に「へ歟」と傍書。諸本及び傍書により訂正))けるも、いと情けなきしわざなりや。おほかたこれならず、唐国(からくに)の習ひにて、賤(あや)しき武士(もののふ)なれど、言ひ立ちぬることを、御門もその心ざしをば、やぶらせ給はぬにや。 ===== 翻刻 ===== 昔平元君ときこゆる人三千人のつかはれ人を あつめてたれをあはれみねんころに思けるに このあるしのおもひつまたかき楼のうへにゐて よもをみわたしけるにあしなへたる物の/m411 はふはふゐさりつつ水をくみに行けり左右 のひさよりもかしら猶ひきいりて人のすかた ににすよにおかしけなりけれはこのをんな おもひわく事もなくてうちはらひてけりこゑ をききて我かかるやまひにわつらひてとし ひさしくなりぬいまはしめて人のわらひあ さけるへきにあらすこれひとへにきみの色を このみてつかはれ人をかろしめ給ゆへ也もし 我をすてぬ御心ならはわらひつる人をうし なひ給へしとしゐてあるしにうれふるに/m412 をのれかうれへをやすむへしとはいひなからさす かにあるへくもなき事なれは其後月日をふ るに三千人のつかはれ人やうやうかすすくなく なり行を我いささかもあやまつことなし しかれともうらみをいたきてのかれさるも心 しりかたしとをのをのにいひくたせりこのな かにことにつまひらかなるもの申ていはく君 このかたは人をすかし給へりこれ我らか身のう へにあらすやもしかくのこときならはなに をたのもしとおもひてか身をすて心をは/m413 けまして君につかへたてまつるへきといへり あるしこれをききてあさからぬとしころの むつましさをもかへりみすこの女をたちま ちにころしてけりかたは人これをみて心ゆき ぬ又その外のつかはれ人とももとのことくかへり にけり おもひきやたたうちゑみしことの葉の しての山ちにちらんものとは あしなへたるつかはれ人ひとりにかほうつく しき人をかつ(へ歟)けるもいとなさけなきしわさ/m414 なりやおほかたこれならすからくにのならひ にてあやしき物のふなれといひたちぬる事 をみかともそのこころさしをはやふらせ給は ぬにや/m415