唐物語 ====== 第14話 陵園といふ宮の内に閉ぢ込められたる人ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、陵園といふ宮の内に閉ぢ込められたる人ありけり。玉の肌(はだへ)、花の形あざやかにて、世に並びなく美しかりけり。年若かりけるとき、女御にいつきかしづかれて、内裏(うち)に参りけるに、親しき疎き((底本「したきうとき」。諸本により訂正))、「楊貴妃・李夫人の例(ためし)にも勝りなん」と思へりけるを、あまたの御方々、めざましきことになむ思しける。 この御憤(いきどほ)りにや、様々の無きことに沈みて、陵園といふ深き山宮に閉ぢ込められて、あくるめもなき物思ひにやつれつつ、眉目形(みめかたち)もありしにもあらずなりにけり。 父母(ちちはは)、生きながら別れぬることを歎き悲しめども、会ひ見ることなかりけり。世の常は深き宮の内に心すごくて、風の音(おと)、虫の音(ね)につけても、思ひ残すことなし。 かくしつつ、やうやう春にもなりゆけば、四方(よも)の山辺に霞(かすみ)たなびき、野辺の早蕨(さわらび)朝(あした)の雨に萌えて、心地よげなるも、我身のためは羨(うらやま)しく思えて、花の匂ひ薫り渡るにも、独り寝の床の上、心とどめきせられつつ、あはれを添へたる朧月夜のみ差し入れども、問ふに音無き影ばかりほのかにて、明かし暮らすに、春過ぎ夏たけて、暮れにし秋も廻り来にけり。 さまざま咲き乱れたる白菊(しらぎく)の夕露(ゆふつゆ)に濡れたるを見るにも、昔の重陽の宴といひしこと思ひ出でられて、落つる涙、いとど抑へがたかりけり。   見るたびも涙つゆけき白菊の花も昔や恋ひしかるらん この人、山宮に閉ぢ込められて後(のち)、三代の御門にぞ会ひ奉りける。 ===== 翻刻 ===== 昔陵園といふ宮のうちにとちこめられたる人 有けりたまのはたへ花のかたちあさやかに/m337 て世にならひなくうつくしかりけりとし わかかりけるとき女御にいつきかしつかれて うちにまいりけるにしたきうとき楊貴妃 李夫人のためしにもまさりなんとおもへ りけるをあまたの御方々めさましき事 になむおほしけるこの御いきとをりにや様々 のなきことにしつみて陵園といふふかき山 宮にとちこめられてあくるめもなき物思に やつれつつみめかたちもありしにもあらすなり にけりちちははいきなからわかれぬる事をな/m338 けきかなしめともあひみることなかりけりよ のつねはふかき宮のうちに心すこくて風の をとむしのねにつけてもおもひのこすこと なしかくしつつやうやう春にもなりゆけはよも の山辺にかすみたなひき野辺のさわらひあ したの雨にもえて心地よけなるも我身の ためはうらやましくおほえて花のにほひ かほりわたるにもひとりねのとこのうへ心とと めきせられつつあはれをそへたるをほろ月よの みさしいれともとふにをとなきかけはかり/m339 ほのかにてあかしくらすにはるすきなつ たけてくれにしあきもめくりきにけりさま さまさきみたれたるしら菊のゆふつゆにぬ れたるをみるにもむかしの重陽の宴といひ し事思いてられておつる涙いととをさへ かたかりけり みるたひも涙つゆけきしら菊の はなもむかしやこひしかるらん このひと山宮にとちこめられてのち三代の 御門にそあひたてまつりける/m340