閑居友 ====== 下第10話 某の院の女房の釈迦仏を頼む事 ====== ** なにかしの院の女房の尺迦仏おたのむこと ** ** 何某の院の女房の釈迦仏を頼む事 ** ===== 校訂本文 ===== いと遠からぬことにや、ことの縁ありて、何某(なにがし)の院の女房をほの知れることありき。 ある時、病(やまひ)に臥したるよし、伝へ聞きしかば、限りなくあはれと思へども、「さやうの所は折悪しき時もあるらむ。事忌みすべきかたも、またなきにしもあらじ」と思ひて、ためらひ侍りしほどに、おのづから日数にもなりぬ。 さて、ことの便りに、苦しかるまじきとかや、ほの聞きて、まかり向ひたりしかば、見し人ともなく衰へにけるなるべし。西の方を見れば、几帳のあなたに、釈迦仏の御手に五色の糸付けて置きたり。「さても、身の思ひにも仏の国願はぬことやは侍る。いづくの浄土をか、御心にかけておはすらむ」と言へば、「何となく頼み慣れにしかば、『霊山浄土に生まればや』と思ふなり」と言へり。 今、思ひみるに、この浄土はなべて人の願はぬとかや。しかはあれど、いつれの仏かは人を道引かんと誓ひ給はぬはあらむ。中にも、本師釈迦如来は申すにつけても畏(かしこ)かるべし。また、この土は天台大師の釈には、実報土と釈し給へり。あるいはまた、同居土とも言ふめれば、同居の浄土ならんには、凡夫のむねとある所なれば、生まれんことかたかるまじきにや。また、ただかの天竺の、草木生ひ繁りたる、今の霊山に行きて、あやしの身を受くとも、「十六羅漢の中の第十五の阿氏多尊者の千五百の眷属の羅漢と共に恵みを垂れ給ふと法住の記((底本「住」に「チウ」と傍書。))にも侍れば、それに教へられ奉りて、惑ひを翻し悟りにおもむかんと思ふべし。 このことを思ひ初められけん、殊にありがたかるべし。たとひ、いづくの浄土を願ふとも、一代化主なりければ、この仏をば必ず仰ぐべきなり。静かに思ひ続くれば、本師釈迦如来、つたなき我等がために、この濁れる世に降り立ちて、大小の教法を説きて、亡き後(あと)のこのころをさへひきかけて、様々(さまざま)にこしらへ給へるに、少し心の付くかとするままに、ここかしこの浄土を求めて、教へ育み給へる御事を、さしおかんこと、いかがと思え侍り。 この釈迦如来の尊くありがたきこと、思ひ続くる折ごとに、思ほえず涙の落つること、いくそばくぞや。悲花経に向ひて、その誓ひの細かなることを尋ぬれば、「我、様々に身を現はして、こしらへ教へんたぐひ、命終りて後、三悪道に堕ち、我が国に生まれずと言はば、我、昔よりこのかた、菩提のために習へる所の諸々の正法、ことごとく滅び失なひて、作らんとせん善功徳、みな作られぬ身とならん」と誓ひ、また、「五逆悪作り、不善業を発(おこ)して、無間地獄に落つべからんものをば、我代りて苦を受けて、その人をば諸仏に値遇(ちぐ)せしめ、涅槃の宮に入れしめむ」と誓ひ給へり。見る目もありがたくこそ侍れ。菩薩の誓ひを立ててよりこのかた、数もなく身を捨て命を失なひて、積み集め給へる功徳を、つたなき我等が故に空しくなし給はんこと、またとりなすにつけても、かたじけなくも侍るかな。 あさましや、我等が心から悪しくなし果てて、大聖無上世尊の万字の御胸を煩はし奉ること、その咎、言ひてもやるかたなかるべし。「すべて民をなだめ、国を治むるまでも、仏の智恵を分かちて施し給へるなり」と、経には説きて侍るめれば、なにわざか仏の恩を離れたるはあらん。あるは、鏡の影にみづからの目を悦ばしめ、あるは、水の面(おも)に憎からぬ形を愛する。これみな、釈迦如来の、我等が苦に代はりて、我等を浮め給へる故にはあらずや。また一陣((底本、「陣」は「陳」。「チン」と傍書。))駆くる武士(もののふ)の胡録((底本、右に「コロク」、左に「エヒラ」の傍書。))の矢を早く抜き、頭(かうべ)を刎(は)ぬる兵(つはもの)の、剣を振ひて名を流すまでも、釈迦如来の力に依りて、この度(たび)、人の姿に浮び出でて、かかるなるべしと思はべ、なほ釈尊の恩を離るることなきにや。 かやうに思ひ続けて、時々あはれをかけ奉らば、これまづ本師の恩を思ひ知る初めなるべし。 かやうに思ひつつ過しゆく世の中に、この何某の院の女房の様(さま)を見て、あだに思えんや。願はくは、この跡を見そなはさん人、この理((底本「事はり」))(ことわり)をおぼし召し知れとなり。 誰故(たれゆゑ)浮び出でて、善し悪しをわきまふる身なればか、なほざりの思ひをなすへき。まして、風を敷き、雲に臥して、世の塵に穢れずして、年を送りけん。天竺・震旦((底本「晨旦」))の昔の高僧たち、いかに釈迦如来の御事を思ひ知る節多くいまそかりけん。 かやうに独り居の深山(みやま)の庵には、風の前の草の靡きやすき心なれども、何となく立ち出でて、むつかしき世の中に交らへば、波の上の月の静まりがたかるべし。かまへて身を留めて、おさまれる心となし果てて、おのづから仏の御事をも思ひ知るべきなり。 さて、まかり出でて、道すがら、何となくこの仏の御名のみ唱へられて侍りき。昔、目連尊者、遥かの国にて、返らん道に迷ひて釈迦の御名を唱へしに、その声遥かに仏の御もとに聞こえて、阿難尊者は、「何人の御名を唱ふるぞ」と疑ひ、仏は、「目連が道を惑はして、我を念ずるなり」と仰せられしこと、思ひ出でられて、常在霊山の空には、今の声も聞こし召し過ぐさじや。阿難の言葉((底本「詞」))も、仏の御言葉も、昔に違はじとまえ、心をやりて、頼もしく思えぬ。 さて、つくづくと思ふやう、草むらに、人に恐ぢらるる蛇(くちなは)も、昔はかやうの人にてある折もありけん。柳の眉、細く描けり。春の霞、色を恥づ。蘭麝(らんじゃ)の匂ひ、四方(よも)に恥かし。秋風、名残を送る身にてもありけんに、あやしの我等も見ては恐ぢ怖れ、逃げ走ること、あはれにも侍るかな。 ただ、人は、心がともかくもなり侍りて、愛せらるる時もあり、恐ぢらるる折も侍るにこそ。かの梁((底本「リヤウ」と傍注))の武帝の后、いかばかりあたりもいみじく侍りけん。死して後、大きなる蛇(くちなは)になりて、御門に罪をうれふることありき。「今よりは、かやうの蛇・蚯蚓(みみず)までも、いたく踈しとはさしはなたじよ」と思ゆ。世々経たる父母、むつ事の仲らひにてもあるらん。まして仏は、よろづの生きとし生ける物をば、みな等しく我が子のごとく悲しみ、あはれみ給へば、彼等をうとうとしく思はば、仏の御心に遠ざかるかたもあるべしなと、様々に思え侍りき。 さても、この仏の御事の書きたく侍るままに、何となきことのついでを悦び侍りぬるにこそ。 ===== 翻刻 ===== いととをからぬ事にや事のえんありてなにか しの院の女房をほのしれる事ありきある 時やまひにふしたるよしつたへききしかは かきりなくあはれとおもへともさやうの所はをり あしきときもあるらむ事いみすへきかたもま たなきにしもあらしとおもひてためらひ 侍しほとにおのつから日かすにもなりぬさて/下35オb219 事のたよりにくるしかるましきとかやほのきき てまかりむかひたりしかは見し人ともな くおとろえにけるなるへし西のかたおみれはき 帳のあなたに尺迦仏の御てに五色のいとつけて をきたりさても身思ひにもほとけの国ねか はぬ事やは侍いつくの浄土をか御心にかけてをは すらむといへはなにとなくたのみなれにしかは 霊山浄土にむまれはやとおもふ也といへりいま思ひみ/下35ウb220 るにこの浄土はなへて人のねかはぬとかやしかは あれといつれのほとけかは人を道ひかんとちかひたま はぬはあらむ中にも本師尺迦如来は申につけて もかしこかるへし又この土は天台大師の尺に は実報土と尺し給へり或は又同居土ともいふ めれは同居の浄土ならんには凡夫のむねとある 所なれはむまれん事かたかるましきにやまた たたかの天竺の草木をひしけりたるいまの/下36オb221 霊山にゆきてあやしの身おうくとも十六羅 かんの中の第十五の阿氏多尊者の千五百の眷 属の羅漢とともにめくみおたれたまふと法住(チウ)の記 にも侍れはそれにおしゑられたてまつりてま とひおひるかへしさとりにおもむかんと思ふへし この事を思ひそめられけんことにありかたかるへし たとひいつくの浄土おねかふとも一代化主なり けれはこのほとけをはかならすあふくへき也し/下36ウb222 つかに思ひつつくれは本師尺迦如来つたなき我等 かためにこのにこれるよにおりたちて大小の 教法をときてなきあとのこのころをさへひ きかけてさまさまにこしらへ給えるにすこし 心のつくかとするままにここかしこの浄土をも とめておしへはくくみ給える御事をさしを かん事いかかとおほえ侍この尺迦如来の たうとくありかたき事思ひつつくるおりことに/下37オb223 おもほえすなみたのおつる事いくそはくそや 悲花経にむかひてそのちかひのこまかなる事 をたつぬれは我さまさまに身おあらはしてこし らゑおしえんたくひいのちをはりてのち三悪 道におちわかくににむまれすといはは我むかし よりこのかた菩提のためにならへる所のもろもろ の正法ことことくほろひうしなひてつくらんとせん善くとくみなつくられぬ身とならんとちかひ また五逆悪つくり不善業ををこして無間/下37ウb224 地獄におつへからんものをは我かはりて苦をうけて その人をは諸仏にちくせしめ涅槃のみやにいれ しめむとちかひたまへりみるめもありかたく こそ侍れ菩薩のちかいをたててよりこのかたかすも なく身をすていのちをうしなひてつみあつめ たまへるくとくをつたなき我等かゆゑにむなし くなしたまはん事またとりなすにつけても かたしけなくも侍かなあさましや我等か心から/下38オb225 あしくなしはてて大聖無上世尊の万字 の御むねをわつらはしたてまつる事その とかいひてもやるかたなかるへしすへてたみを なため国ををさむるまても仏のちゑをわかち てほとこしたまへる也と経にはときて侍めれは なにわさかほとけのおんをはなれたるはあらん あるはかかみのかけにみつからのめをよろこはし めあるは水のおもににくからぬかたちをあいする/下38ウb226 これみな尺迦如来の我等か苦にかはりて我らを うかめたまへるゆゑにはあらすやまた一陳(チン)か くるもののふの胡録(コロク・エヒラ)のやをはやくぬきかうへを はぬるつはもののつるきをふるひて名をなか すまても尺迦如来のちからによりてこのたひ 人のすかたにうかひいててかかるなるへしと おもははなを尺そんのおんをはなるる事な きにやかやうにおもひつつけてときときあはれを/下39オb227 かけたてまつらはこれまつ本師の恩をおもひ しるはしめなるへしかやうにおもひつつすく しゆく世中にこのなにかしのいんの女房のさま をみてあたにおほえんやねかはくはこのあとを 見そなはさん人この事はりををほしめしし れと也たれゆゑうかひいててよしあしをわき まふる身なれはかなをさりのおもひをなすへ きまして風おしき雲にふして世のちりにけか/下39ウb228 れすしてとしををくりけん天竺晨旦のむかしの 高僧たちいかに尺迦如来の御事をおもひしる ふしおほくいまそかりけんかやうにひとりゐ のみ山のいほりには風のまへの草のなひきや すき心なれともなにとなくたちいててむつかし き世中にましらへはなみのうへの月のしつ まりかたかるへしかまゑて身をとめておさ まれる心となしはてておのつからほとけの御/下40オb229 事をも思ひしるへき也さてまかりいてて道す からなにとなくこのほとけの御名のみとなえら れて侍き昔目連尊者はるかの国にて返らん 道にまよひて尺迦の御名をとなえしにそのこ ゑはるかに仏の御もとにきこゑてあなん尊者 はなに人の御名をとなふるそとうたかひは 目連か道をまとはして我をねんする也とおほ せられし事思ひいてられて常在霊山のそらには/下40ウb230 いまのこゑもきこしめしすくさしや阿難の 詞も仏のみことはもむかしにたかはしとまて心を やりてたのもしくおほえぬさてつくつくと思ふやう草 むらに人におちらるるくちなはもむかしはかやう の人にてあるをりもありけん柳の眉ほそく かけり春の霞いろをはつ蘭麝のにほひよもに はつかし秋風なこりををくる身にてもありけん にあやしの我らもみてはおちをそれにけは/下41オb231 しる事あはれにも侍かなたた人は心かともかくも なり侍てあひせらるる時もありおちらるるをりも 侍にこそかの梁(リヤウ)の武帝の后いかはかりあたりも いみしく侍けん死して後おほきなるくちなはに なりて御門につみをうれふる事ありきいまより はかやうのくちなはみみすまてもいたくうとし とはさしはなたしよとおほゆよよへたる父母 むつ事のなからひにてもあるらんまして仏は/下41ウb232 よろつのいきとしいけるものをはみなひとし く我子のことくかなしみあはれみ給へはかれら をうとうとしくおもはは仏の御心にとをさかるかたも あるへしなとさまさまにおほえ侍きさてもこの仏 の御事のかきたく侍ままになにとなき事の ついてを悦侍ぬるにこそ/下42オb233