閑居友 ====== 下第9話 宮腹の女房の不浄の姿を見する事 ====== ** 宮はらの女房の不浄のすかたをみする事 ** ** 宮腹の女房の不浄の姿を見する事 ** ===== 校訂本文 ===== 昔、それがしの僧都とて、尊き人、ある宮腹の女房に心ざしを移すことありけり。思ひかねてや侍りけん、うち口説き心の底を表はしければ、この女、とばかりためらひて、「なじかは、さまでに煩ひ給ふべき。里にまかり出でたらんに、必ず案内し侍らむ」と言ひけり。この人、ただおほかたの情けかとは思へども、さすが、また、昔には似ずなん思ひ居(を)りける。 かかるに、いくほどもあらで、「このほど、まかり出でたること侍り。今夜(こよひ)はこれに侍るべし」と言ひたり。さるべきやうに出で立ちて行きぬ。 この人、出で会ひて、「仰せのゆるぎなく重ければ、まかり出でて侍り。ただし、この身のありさま、臭く穢(けが)らはしきこと、たとへて言はんかたなし。頭(かしら)の中(うち)には、脳髄(なづき)、間なく湛(たた)へたり。膚(はだへ)の中に、肉(ししむら)・骨を纏(まつ)へり。すべて血流れ、膿汁(うみしる)垂りて、一つも近付くべきことなし。しかあるを、様々(さまざま)の他の匂ひをやとひて、いささかその身を飾りて侍れば、何となく心にくきさまに侍るにこそありけれ。そのまことの有様を見給はば、さだめて、けうとく恐しくこそ思しなり給はめ。このよしをも、細かに口説き申さむとて、『里へ』とは申し侍りしなり」とて、「人やある。火灯して参れ」と言ひければ、切灯台(きりとうだい)に火いと明く灯して来たり。 さて、引き物を開けつつ、「かくなん侍るを、いかでか御覧じ忍び給ふべき」とて、出でたりけり。髪はそそけ上がりて、鬼などのやうにて、あてやかなりし顔も、青く、黄に変りて、足なども、その色ともなく、いぶせく汚なくて、血ところどころ付きたる、衣(きぬ)のあり香、まことに臭く耐へがたきさまにて、さし出でて、さめざめと泣きて、「日ごとにつくろひ侍るわざを留めて、ただ我が身のなりゆくにまかせて侍れば、姿も着るものも、かくなん侍るにはあらずや。そこは、仏道近き御身なれば、偽りの色を見せ奉らむも、かたがた畏れも侍りぬべければ、かやうにうちとけ侍りぬるなり」と、かき口説き言ひけり。 この人、つゆ物言ふことなし。さめざめと泣きて、「いみじき友に会ひ奉りて、心をなん改め侍りぬる」とて、車に急ぎ乗りて、返りにけりとなん。 まことに、いみじく賢く侍りける女の心なりけり。今の世にも、さほどおどろおどろしきまでこそなけれども、捨つとなれば、人の身はあらぬものになり侍るにこそ。かの、水の面(おも)に影を見て、身をいたづらになし果てけん(([[:text:yamato:u_yamato155|『大和物語』155段]]参照))、さこそは廃れけん顔立ては悲しく侍りけめ。 小野小町のことを書き記せる物を見れば、姿も着る物も、目を恥しめ侍るぞかし。まして、いたう顔も良からぬ人の、なりゆくにまかせて侍らんは、などてかは、この女房の偽りの姿に異なるべき。いはんや、息止まり、身冷えて、夜を重ね、日を送らん時をや。いかにいはんや、膚(はだへ)ひはれ、膿汁流れて、筋解け、肉(ししむら)解くる時をや。まことに心を静めて、のどかに思ふべし。 ===== 翻刻 ===== 昔それかしの僧都とてたうとき人ある宮 はらの女房に心さしをうつす事ありけりおも ひかねてや侍けんうちくとき心のそこをあらはし けれはこの女とはかりためらひてなしかはさまて にわつらひたまふへきさとにまかりいてたらんにかならす/下31ウb212 案内しはへらむといひけりこの人たたおほかた のなさけかとはおもへともさすかまたむかしには にすなん思ひをりけるかかるにいくほともあらて このほとまかりいてたる事侍こよひはこれに侍へ しといひたりさるへきやうにいてたちてゆき ぬこの人いてあひておほせのゆるきなくおも けれはまかりいてて侍たたしこの身のありさま くさくけからはしき事たとえていはんかたなし/下32オb213 かしらのうちにはなつきまなくたたへたりはたへ の中にししむらほねをまつへりすへてちなか れうみしるたりて一もちかつくへき事なし しかあるをさまさまのほかのにほひをやとひて いささかその身をかさりて侍れはなにとなく心に くきさまに侍にこそありけれそのま事の ありさまをみたまははさためてけうとくお そろしくこそおほしなりたまはめこのよしを/下32ウb214 もこまかにくとき申さむとてさとへとは申侍し 也とて人やある火ともしてまいれといひけれはき りとうたいに火いとあかくともしてきたりさて ひきものをあけつつかくなん侍をいかてか御覧し しのひたまふへきとていてたりけりかみはそ そけあかりておになとのやうにてあてやか なりしかほもあをくきにかはりてあしなとも その色ともなくいふせくきたなくてちところところ/下33オb215 つきたるきぬのありかまことにくさくたゑかた きさまにてさしいててさめさめとなきて日ことに つくろひ侍わさをととめてたたわか身のなり ゆくにまかせて侍れはすかたもきるものもかく なん侍にはあらすやそこは仏道ちかき御身な れはいつはりの色をみせたてまつらむもかたかた おそれも侍ぬへけれはかやうにうちとけ侍ぬる也 とかきくときいひけりこの人つゆものいふ事/下33ウb216 なしさめさめとなきていみしきともにあひたて まつりて心をなんあらため侍ぬるとて車にいそ きのりて返にけりとなんまことにいみしく かしこく侍ける女の心也けりいまのよにもさほと おとろおとろしきまてこそなけれともすつとなれ は人の身はあらぬものになり侍にこそかの水の おもにかけをみて身おいたつらになしはてけん さこそはすたれけんかほたてはかなしく侍けめ/下34オb217 おののこまちの事をかきしるせるものをみれは すかたもきるものもめをはちしめ侍そかし ましていたうかほもよからぬ人のなりゆくにまか せて侍らんはなとてかはこの女房のいつはりのす かたにことなるへきいはんやいきとまり身ひゑ て夜をかさね日ををくらん時をやいかにいはんや はたへひはれうみしるなかれてすちとけしし むらとくるときをやまことに心をしつめてのとかに思/下34ウb218 へし/下35オb219