閑居友 ====== 下第8話 建礼門女院の御庵に忍びの御幸の事 ====== ** 建礼門女院(けんれいもんのねうゐん)御いほりにしのひの御幸の事 ** ** 建礼門女院の御庵に忍びの御幸の事 ** ===== 校訂本文 ===== 文治二年の春、建礼門女院((建礼門院・平徳子))、世を捨てて籠り居させ給へるもとに、「いかさまにして、いまそかるらむ」とて、夜をこめて、忍びの御幸((本文には記述されないが、主語は後白河院。))ありけり。 そのおはします所に、いとあやしけなる尼の年老ひたるありけるに、「女院はいづくにおはしますぞ」と問はせ給ひければ、「この上の山に、花摘みに入らせ給ひぬ」と答(いら)へけり。いとあはれに聞こし召して、「いかでか、世を捨つと言ひながら、みづからは」と聞こえさせ給へば、尼の申すやう、「家を出でさせ給ふはかりにては、いかでかさる御行ひも侍らざらむ。忉利天の奥千歳の楽しみ、大梵天の深き禅定の楽しみにも、かやうの御行ひの力にて、会はせ給はんずるには侍らずや。うき世を出でて、仏の御国(みくに)に生まれんと願はん人、いかでか捨つとならば、なほざりのこと侍るべき。前(さき)の世に、かかる御行ひのなかりける故(ゆゑ)にこそ、かかる憂き目を御覧ずることにて侍らめ」と言ひけり。御供の人々も、「姿よりはあはれなる物言ひかな」と言ひしろひ、また、院もあはれにおぼし召したり。 さて、御住居を御覧じ回しければ、一間には、阿弥陀の三尊立て参らせて、花・香いといみじく供へさせ給へり。一間には、臥させ給ふ所と見えて、あやしげなる御衣(おんぞ)・紙の衣(きぬ)などあり。障子(さうじ)には、経の要文ども書かれたり。机には、経読みさしてあむめり。心を静むべき文(ふみ)ども、ならびに地獄絵など、さもと思えて並べ置かれたり。これを御覧ずるに、何となく昔の御あたり近き御宝物(たからもの)どもにはたとしへなきを、あはれに悲しくおぼさる。 誰もあはれとやおぼされけん、あるは、直衣(なおし)の袖を顔に当て、あるは、面(おもて)を壁に向かへて、おのおの言葉少なになりておはしけるほどに、山の上より尼二人下りたりけり。一人は花籠(はなこ)を持ち、一人は爪木(つまき)を拾ひ持ちたり。やうやう近づき給ふを見れば、花籠持ちたるは、女院にてものし給ひけり。爪木持ちたるは、昔近く召し使はせ給ひける人なりけり。各々(おのおの)涙を流して、あきれあひ給へり。 さて、そばの間より入らせ給ひて、御袖かき合はせて、向ひ参らせておはしましけり。「いかに、ことにふれて便りなき御ことも侍らんかし」など、様々(さまざま)語らはせ給へば、「何かは便りなくもわびしくも侍るべき。いみじき善知識にこそ侍れ。常に思ひ出で侍れば、涙も止(とど)まらず。花の京(みやこ)を出でしより、返り見れば、我が住処(すみか)とおぼしくて、煙(けぶり)立ち上りて、行く先も涙に隠れふたがり、いづれか山河ともわかれず。八島((屋島のこと。))の里にまかりたりしかば、そのかみ見し直衣などのやうに思えて、弓矢の他に捧げ持ちたる物なし。さて、ここもかなふまじとて、八島を出でて、行方も知らぬ海に浮みて、起き臥しは涙に沈み侍りしほどに、船に恐しき者ども乗り移り侍しかば、今上((安徳天皇))をば、人の抱(いだ)き奉りて、海に入り給ひき。人々、あるは神璽を捧げ、あるは宝剣を持ちて海に浮みて、「かの御供に入りぬ」と名乗りし声ばかりして、失せにき。残れる者ども、目の前に命を失ひ、あるは縄にて様々にしたため、いましむ。少しも情(なさけ)を残すことなし。「今は」とて、海に入りなんとせし時は、焼石(やきいし)・硯なと懐(ふところ)に入れて沈めにして、今上を抱(いだ)き奉りて、まづは伊勢大神宮を拝ませ参らせ、次に西方を拝みて入らせ給ひしに、我も入りなんとし侍りしかば、「女人をば、昔より殺すことなし。構へて残り留まりて、いかなる様(さま)にても後の世を弔(とぶら)ひ給ふべし。親子のする弔ひは、必ず叶ふことなり。誰かは、今上の後世をも、我が後世をも弔はん」とありしに、今上は何心もなく振り分け髪にみづら結ひて、青色の御衣を奉りたりしを見奉りしに、心も消え失せて、今日まてあるべしとも思えず侍りき。されども、後世を弔ひ奉らむとて、身を捨て命を軽(かろ)めて、祈り奉れば、いかでか諸仏菩薩も納め給はざるべき。かかれば、これに過ぎたる善知識はなしとこそ思え侍れ」とぞ、申させ給ひける。 さて、夜も更け、月も傾(かたぶ)きにければ、御供の人も涙にしほれつつ、返りにけるとなん。 これは、かの院の御あたりのことを記せる文に侍りき。何となく見過(みすぐ)しがたくて、書き載せ侍るなるべし。 ===== 翻刻 ===== 文治二年の春建礼門女院世をすててこもりゐ させたまへるもとにいかさまにしていまそかるら むとて夜おこめてしのひの御幸ありけりその をはします所にいとあやしけなるあまのとし おひたるありけるに女院はいつくにおはしますそ/下26ウb202 ととはせたまひけれはこのうゑの山にはなつみに いらせたまひぬといらゑけりいとあはれにきこし めしていかてか世をすつといひなからみつから はときこゑさせたまへはあまの申すやう家を いてさせ給はかりにてはいかてかさる御をこなひも 侍らさらむ忉利天の奥千歳のたのしみ大梵天 の深禅定の楽にもかやうの御をこなひのちから にてあはせたまはんするには侍らすやうき世を/下27オb203 いてて仏のみくににむまれんとねかはん人いかてか すつとならはなをさりの事侍へきさきのよに かかる御おこなひのなかりけるゆへにこそかかる うきめを御覧する事にて侍らめといひけり 御ともの人々もすかたよりはあはれなるものいひ かなといひしろひまた院もあはれにおほし めしたりさて御すまゐを御覧しまは しけれは一まにはあみたの三尊たてまいらせて/下27ウb204 はなかういといみしくそなへさせたまへり一まには ふさせ給所とみえてあやしけなる御そかみのき ぬなとありさうしには経のようもんともかかれた りつくゑには経よみさしてあむめり心おしつ むへきふみともならひに地獄ゑなとさもとおほ ゑてならへおかれたりこれを御覧するになに となくむかしの御あたりちかき御たから物ともに はたとしへなきをあはれにかなしくおほさる/下28オb205 たれもあはれとやおほされけんあるはなおしの そてをかほにあてあるはおもてをかへにむかへて おのおのことはすくなになりておはしけるほとに 山のうへよりあま二人おりたりけりひとりは はなこをもちひとりはつまきをひろいもちたり やうやうちかつき給をみれははなこもちたるは女院 にてものしたまひけりつま木もちたるは昔ち かくめしつかはせ給ける人なりけりおのおのな/下28ウb206 みたをなかしてあきれあひたまへりさてそは のまよりいらせたまひて御そてかきあはせて むかひまいらせておはしましけりいかに事にふれ てたよりなき御事も侍らんかしなとさまさまか たらはせたまへはなにかはたよりなくもわひし くも侍へきいみしき善知識にこそ侍れつねに思ひ いてはへれはなみたもととまらすはなのみやこお いてしより返見れはわかすみかとおほしくて/下29オb207 けふりたちのほりてゆくさきもなみたにかくれふた かりいつれか山河ともわかれす八しまのさとにまか りたりしかはそのかみ見しなおしなとの やうにおほえてゆみやのほかにささけもちたる物 なしさてここもかなふましとて八しまを いててゆくゑもしらぬうみにうかみておきふし はなみたにしつみ侍しほとにふねにをそろし きものとものりうつり侍しかは今上おは人の/下29ウb208 いたきたてまつりて海にいりたまひき人々或は 神璽をささけあるはほうけんおもちてうみに うかみてかの御ともにいりぬとなのりしこゑは かりしてうせにきのこれるものともめのまへに いのちをうしなひあるはなはにてさまさまにしたた めいましむすこしもなさけおのこす事なし いまはとてうみにいりなんとせしときはやきいし すすりなとふところにいれてしつめにして/下30オb209 今上をいたきたてまつりてまつは伊勢大神宮を おかませまいらせつきに西方ををかみていらせ給しに 我も入なんとし侍しかは女人をはむかしより ころす事なしかまえてのこりととまりていか なるさまにても後のよをとふらひ給へしをやこ のするとふらひはかならすかなふ事也たれかは 今上の後世をも我後世をもとふらはんとあり しに今上はなに心もなくふりわけかみにみつらゆ/下30ウb210 ひてあを色の御衣をたてまつりたりしをみた てまつりしに心もきゑうせてけふまてあるへ しともおほえす侍きされとも後世をとふらひた てまつらむとて身おすていのちをかろめていのりた てまつれはいかてか諸仏菩薩もおさめたまはさるへき かかれはこれにすきたる善知識はなしとこそお ほえ侍れとそ申させたまひけるさて夜もふけ 月もかたふきにけれは御ともの人もなみたに/下31オb211 しほれつつ返にけるとなんこれはかの院の御あ たりの事をしるせる文に侍きなにとなくみす くしかたくてかきのせ侍なるへし/下31ウb212