閑居友 ====== 上第18話 あやしの入道、「空也上人南無阿弥陀仏、三河の入道南無阿弥陀仏」と唱ふる事 ====== ** あやしの入道空也上人南無阿弥陀仏みかはの入道南無あみた仏ととなふる事 ** ** あやしの入道、「空也上人南無阿弥陀仏、三河の入道南無阿弥陀仏」と唱ふる事 ** ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、東の京に、あやしの貧しき入道ありけり。するわざも侍らず。ただ常には、「空也上人南無阿弥陀仏、参河入道((寂照))南無阿弥陀仏、書写聖((性空))南無阿弥陀仏、恵心僧都((源信))南無阿弥陀仏」といふ念仏をぞ申しける。 後には功(こう)入りて、いみじく尊くぞ聞こえける。老いの眠(ねぶ)り早う覚めて、夜深く夢を残したる人々、寝覚めの床にあはれかけずといふことなし。 ある時は、かきくらし失せて、日数になるまで見えぬこともあり。また、何としてやらん、返り来てまがひ歩(あり)く時もあり。数ならぬ家のありけるをしるべにて、ふるわたりをぞ、むねとの居所にはしたりける。妻(め)も子も失せにければ、さらなり。何にかは、心の留まるふしも侍らん。いみじく思ひ澄ましてなん見えける。 かかるほどに、この人、「心悩ましき」とて、さし出でもせず、一人居たりけり。かくて四五日して、やをら這ひ出でて、人々に対面(たいめ)して、「まかり隠れなんことの近く侍れば、見も聞こえ、見えも聞こえんとて」など、あはれに言ひつつ、その辺の人々に触れ回りて、帰りて、やかてほどなく身罷れりけり。 わたりの人々、いとあはれにて、涙にむせびけるとなん。あはれに偲ばしく侍り。 ===== 翻刻 ===== 中比東の京にあやしのまつしき入道あり けりするわさも侍らすたたつねには空也上人 南無阿弥陀仏参河入道南無あみた仏書写聖南/上51ウb110 無あみた仏恵心僧都南无阿弥陀仏といふ念仏をそ 申ける後にはこういりていみしくたうとくそき こゑけるをひのねふりはやうさめて夜ふかく夢 おのこしたる人々ねさめのとこにあはれかけ すといふ事なしあるときはかきくらしうせて 日かすになるまてみえぬ事もありまたなに としてやらん返きてまかひありく時もあり かすならぬいゑのありけるをしるへにてふ/上52オb111 るわたりおそむねとのゐ所にはしたりけるめも こもうせにけれはさら也なににかは心のととまる ふしも侍らんいみしく思ひすましてなんみえ けるかかるほとにこの人心なやましきとて さしいてもせすひとりゐたりけりかくて四五日 してやおらはひいてて人々にたいめしてまかり かくれなん事のちかく侍れはみもきこゑみへもき こゑんとてなとあはれにいひつつその辺の人々に/上52ウb112 ふれまはりてかへりてやかてほとなく身まかれり けりわたりの人々いとあはれにてなみたにむせひ けるとなんあはれにしのはしく侍り/上53オb113