閑居友 ====== 上第6話 あづまの聖の手づから山送りする事 ====== ** あつまのひしりのてつから山おくりする事 ** ** あづまの聖の手づから山送りする事 ** ===== 校訂本文 ===== 昔、あづまの方に、いみじく思ひ澄ましたる聖ありけり。ただ一人のみありて、すへて辺りに人を寄せずぞ侍りける。ただ、我が心とぞ、時々出でて、人にも見えける。また、身に持ちたる物、少しもなし。仏も経もなし。まして、その他のもの、つゆちりもなし。 隠るべきことや近付きて思えけん。日ごろしめおきたりける山に登りて、火打笥(ひうちげ)に歌をぞ書きて侍りける。   頼む人なき身と思へば今はとて手づからしつる山送りかな さて、はるかにほど経て、なすべきことありて山に入れる人、これを見出だしたりけるとなん。ことにあはれに忍びがたく侍り。 何も持たらぬこそ、ことにあはれに好もしく侍れ。かの天竺の比丘の、坐禅の床(ゆか)の他には何もなくて、客人(まらうど)の菩薩のおはしたるに、木の葉をかき集めて、それに居させ奉りけることを見侍りしより、このことはいみじく好もしく侍り。 いにしへ、軒近き橘を愛せし人、蛇(くちなは)となりて木の下(もと)にあり」なども、伝には見え侍り。また、「釈迦仏、昔ただ人にておはしましけるに、毒蛇となりて、先に土に埋(うづ)めりし金(こがね)を纏(まつ)ふ」とも侍るめるは。 かかるに、この人、何の持たる物にかは、つゆばかりの心も動(はたら)き侍るべき。なほなほうらやましく侍り。 唐土(もろこし)にまかりて侍りしにも、さらに何もなくて、袈裟と鉢とばかり持ちたる人、少々見え侍りき。「なほ、仏の御国に境近き国なれば、あはれにもかかるよ」と、思ひ合はせられ侍りき。 また、人を遠ざかること、いみじく尊く侍り。何わざにつけても、一人侍るばかり澄みたることはなし。 昔の高僧の跡を尋ぬれば、みなかやうにのみ侍るにや。なほなほあはれに侍り。歌さへ優(いう)に侍るこそ。 ===== 翻刻 ===== 昔あつまの方にいみしく思ひすましたる聖ありけ りたたひとりのみありてすへてあたりに人をよ せすそ侍けるたたわか心とそときときいてて人にも見え けるまた身にもちたる物すこしもなし仏も 経もなしましてそのほかのものつゆちりもなし/上19オb45 かくるへき事やちかつきておほえけん日ころしめ をきたりける山にのほりてひうちけに哥をそかき て侍ける たのむ人なき身とおもへはいまはとて てつからしつる山をくりかな さてはるかにほとへてなすへき事ありて山に いれる人これをみいたしたりけるとなんことにあは れにしのひかたく侍なにももたらぬこそことに/上19ウb46 あはれにこのもしく侍れかの天竺の比丘の坐禅の ゆかのほかにはなにもなくてまらうとの菩薩のおはし たるにこのはをかきあつめてそれにゐさせたて まつりける事をみ侍しよりこの事はいみしく このもしく侍いにしへのきちかきたちはなをあ いせし人くちなはとなりて木のもとにありなと も伝には見え侍又釈迦仏昔たた人にておはし ましけるに毒虵となりてさきにつちにうつめりし/上20オb47 こかねをまつふとも侍めるはかかるにこの人なにのも たるものにかはつゆはかりの心もはたらき侍へき猶々 うらやましく侍もろこしにまかりて侍しにも さらになにもなくてけさとはちとはかりもちたる 人せうせうみへ侍き猶ほとけの御国にさかひちかき 国なれはあはれにもかかるよと思ひあはせられ侍き また人おとをさかる事いみしくたうとく侍なに わさにつけてもひとり侍はかりすみたる事はなし/上20ウb48 むかしの高僧のあとをたつぬれはみなかやうにのみ侍 にや猶々あはれに侍うたさえいうに侍こそ/上21オb49