閑居友 ====== 上第1話 真如親王、天竺に渡り給ふ事 ====== ** 真如親王天竺にわたりたまふ事 ** ** 真如親王、天竺に渡り給ふ事 ** ===== 校訂本文 ===== 昔、真如親王といふ人いまそかりけり。平城(なら)の御門の第三の御子なり。いまだ頭剃ろし給はぬ前には、高岳の親王とぞ申しける。飾りを落し給ひて後は、道詮律師に会ひて三論宗を極め、弘法大師((空海))に従ひて真言を習ひ給ひけり。 「法門、ともにおぼつかなきこと多し」とて、つひに唐土(もろこし)にぞ渡り給ひける。宗叡僧正とともなひ給ひけるが、宗叡は、「文殊の住み給ふ五台山、拝まん」とて行き給ふ。親王は、もの習ふべき師を尋ね給ひけるほどに、昔、この日本(やまと)の国の人にて円載和尚といひし人の、唐に留まりたりけるが、親王の渡り給ふよしを聞きて、御門に奏したりければ、御心あはれみて、法味和尚といふ人に仰せつけられて、学問ありけれど、心にもかなはざりければ、つひに天竺にぞ渡り給ひにける。 「錫杖を突きて、脚にまかせて一人行く。理(ことわり)にも過ぎて煩ひ多し」など侍るを見るにも、悲しみの涙かきやりがたし。玄奘・法顕などの昔の跡に思ひ合はするにも、さこそは険しく危うく侍ろけめと、あはれなり。 さて、返り給ふべきほども過ぎぬれば、「生死(いきしに)わきまゑ難し」とて、細かにぞ尋ねありける。唐土の返事に、「天竺に渡り給ふほどに、道にて終り給ふよし、ほのかに聞く」と侍りけるにぞ、初めて魂を移し給ふよしを知りにける。 渡り給ひける道の用意に、大柑子(かんじ)を三つ持ち給ひたりけるを、飢(つか)れたる姿したる人、出で来て、乞ひければ、取り出でて、中にも小さきを与へ給ひけり。この人、「同じくは、大きなるをあづからばや」と言ひければ、「我は、これにて末も限らぬ道を行くべし。汝は、ここのもと人なり。さしあたりたる飢ゑをふせぎては足りぬべし」とありければ、この人、「菩薩の行は、さる事なし。汝、心小さし。心小さき人の施す物をば受くべからず」とて、かき消ち失せにけり。親王、あやしくて、「化人の出で来て、我が心をはかり給ひけるにこそ」と、悔しくあぢきなし。 さて、やうやう進み行くほどに、つゐに虎に行き会ひて、むなしく命終りぬとなん。このことは、親王の伝にも見え侍らねば、記し入れぬるなるべし。 昔のかしこき人々の、天竺に渡り給へる事を記せる文にも、大唐・新羅の人々は数あまた見え侍れど、この国の人は一人も見えざんめるに、この親王の思ひ立ち給ひけん心のほど、いといとあはれにかしこく侍り。昔は、やすみしる儲けのすべらぎにて、百(もも)の官(つかさ)仰がれきといへども、今は、道のほとりの旅の魂として、一人いづくにか赴き給ひけんと、返す返すあはれに侍り。大唐の義朗律師の、「天竺にゆく」とて、身を滅ぼしたる事をいふ所に、獅子洲にもすでに見えず。中印度にもまた聞こえず。多くはこれ魂異代に返るらん」と侍ること、思ひ出でられて、とにかくに心すぞろに侍る。 さても、親王の身は、はるかの境(さかひ)に移り給ひけれども、貢物(みつきもの)は、なほあとにそなへられけんことこそ、情け深く聞こえ侍れ。 さても、『発心集』には、伝記の中にある人々あまた見え侍るめれど、この文(ふみ)には伝に載れる人をば入るることなし。かつは、かたがた憚りも侍り。また、世の中の人の習ひは、わづかにおのれか狭く浅く物を見たるままに、「これはそれがしが記せる物の中にありしことぞかし」など、よにもたやすげに言ふ人もあるべし。また、もとより筆を執りて物を記せる者の心ざしは、「我、このことを記し留めずは、後の世の人、いかでかこれを知るべき」と思ふより始まれるわざなるべし。さればこそ、章安大師は「この事。もし墜(お)ちなば、将来も悲しむべし」とは書き給ふらめ。いはんやまた、古き人の心も巧みに詞(ことば)もととのほりて記せらんを、今あやしけに引きなしたらむもいかがと思え侍り。 また、この書き記せる奥どもに、いささか天竺・震旦((底本「晨旦」))・日域((底本「域」に「ゐき」と傍書。))の昔の跡を、一筆(ひとふで)など引き合はせたることの侍るは、「これを端(はし)にて知り初むる縁(え)ともやなり侍るらん」など、思ひ給ひてつかうまつれるなり。 長明は、「人の耳をも喜ばしめ、また結縁にもせむ」とてこそ、伝の中(うち)の人をも載せけんを、世の人のさやうに思はで侍るに習ひて、かやうにも思ひ侍るなるべし。ゆめゆめ草隠れなき陰にも、「我をそばむる詞(ことば)かな」とは、思ふまじきなり。 ===== 翻刻 ===== 昔真如親王といふ人いまそかりけりならの御門の 第三の御子也いまたかしらおろしたまはぬさき にはたかおかの親王とそ申けるかさりおおとし たまひてのちは道詮律師にあひて三論宗をき はめ弘法大師にしたかひて真言おならひ給けり 法門ともにおほつかなきことおほしとてついにもろ こしにそわたり給ける宗叡僧正とともなひ給 けるか宗叡は文殊のすみ給五台山おかまんとて/上1オb9 ゆきたまふ親王はものならふへき師おたつね給け るほとに昔このやまとの国の人にて円載和尚と いひし人の唐にととまりたりけるか親王のわたり 給よしをききて御門に奏たりけれは御心あはれ みて法味和尚といふ人におほせつけられて学問あ りけれと心にもかなはさりけれはついに天竺にそわ たりたまひにける錫杖おつきてあしにまかせ てひとりゆくことはりにもすきてわつらひおほ/上1ウb10 しなと侍おみるにもかなしみのなみたかきやり かたし玄奘法顕なとの昔のあとにおもひあはす るにもさこそはけはしくあやうく侍けめとあはれ なりさて返給へきほともすきぬれはいきしに わきまへかたしとてこまかにそたつねありけ るもろこしの返事に天竺にわたり給ほとに道 にておはりたまふよしほのかにきくと侍けるに そはしめてたましゐおうつし給よしをし/上2オb11 りにけるわたりたまひける道のよういに大かんし お三もちたまひたりけるをつかれたるすかたし たる人いてきてこひけれはとりいてて中にもちいさき をあたへ給けりこの人おなしくはおほきなるをあ つからはやといひけれは我はこれにてすゑもかきらぬ 道おゆくへし汝はここのもと人也さしあたりたる うゑおふせきてはたりぬへしとありけれはこの人 菩薩の行はさる事なし汝心ちいさし心ちいさ/上2ウb12 き人のほとこすものおはうくへからすとてかきけち うせにけり親王あやしくて化人の出来てわかこころ をはかりたまひけるにこそとくやしくあちきな しさてやうやうすすみゆくほとについに虎にゆき あひてむなしくいのちおはりぬとなんこのことは 親王の伝にもみへ侍らねはしるしいれぬるなるへし 昔のかしこき人々の天竺にわたり給へる事をしるせ るふみにも大唐新羅の人々はかすあまたみえ侍れとこ/上3オb13 の国の人はひとりもみゑさんめるにこの親王のおもひたち給けん心のほといといとあはれに かしこく侍り昔はやすみしるまうけのすへら きにてもものつかさにあふかれきといへともいまは 道のほとりのたひのたましいとしてひとりいつ くにかおもむきたまひけんと返々あはれに侍り 大唐の義朗(らう)律師の天竺にゆくとて身おほろほし たる事をいふ所に獅子洲にもすてにみへす中印度 にもまたきこえすおほくはこれたましゐ異代にかへ/上3ウb14 るらんと侍事おもひいてられてとにかくに心すそろ に侍さてもしん王の身ははるかのさかひにうつり給 けれともみつきものは猶あとにそなへられけん事こそ なさけふかくきこえ侍れさても発心集には伝記の 中にある人々あまたみゑ侍めれとこのふみには伝にのれ る人おはいるることなしかつはかたかたははかりも侍り またよの中の人のならひはわつかにおのれかせはく あさくものおみたるままにこれはそれかしかしるせる/上4オb15 ものの中にありし事そかしなとよにもたやす けにいふ人もあるへしまたもとよりふてをとりて ものおしるせるものの心さしは我この事をしるし ととめすは後のよの人いかてかこれをしるへきと思より はしまれるわさなるへしされはこそ章安大師は この事もしおちなは将来もかなしむへしとは かきたまふらめいはんやまたふるき人の心もたくみに 詞もととのほりてしるせらんおいまあやしけに/上4ウb16 ひきなしたらむもいかかとおほえ侍またこのかき しるせるおくともにいささか天竺晨旦日域(ゐき)の むかしのあとをひとふてなとひきあはせたる事の 侍はこれおはしにてしりそむるえともやなり 侍らんなとおもひたまひてつかうまつれる也長明 は人の耳おもよろこはしめまたけちえんにも せむとてこそ伝のうちの人おものせけんおよの 人のさやうにおもはて侍にならひてかやうにも/上5オb17 おもひ侍なるへしゆめゆめくさかくれなきかけにも我 をそはむる詞かなとはおもふましきなり/上5ウb18