今昔物語集 ====== 巻15第45話 越中前司藤原仲遠往生兜率語 第四十五 ====== 今昔、越中の前司藤原の仲遠の朝臣と云ふ人有けり。若より道心有て、偏に世の事を思はずして、只後世の事をのみ恐れけり。常には出家の思ひ有りと云へども、忽に妻子を棄難きに依て、思ひを懸け乍ら、自然ら過けり。 一寸の暇を惜て、法花経を読誦し、仏の名号を唱へけり。馬・車に乗て道を行く時にも、手に経を捲(にぎり)て、断つ事無かりけり。世路を趁(はし)ると云へども、日毎の所作として、法花経一部・理趣分・普賢の十願・尊勝陀羅尼・随求陀羅尼・阿弥陀の大呪、此等を必ず誦して、断つ事無かりけり。 一生の間読みたる所の法花経、万余部也。自余の念仏・読経は、其の員を知らず。法花講を聴聞する事、千余座也。仏を造り経を書きたる事、其の員有り。人に物を与へ、施を行じたる事、亦多かり。 而る間、遂に命終らむと為る時に臨て、心乱れずして、法花経を誦して、傍なる人に告て云く、「我、今兜率天上に生まるべし」と云て、掌を合せて失にけり。其の時に、家の内に艶(えもいは)ず馥ばしき香、匂ひ満て、微妙(いみじ)き音楽の音、空に聞えけり。此れを聞く人、皆、「年来法花経を持(たも)てるに依て、必ず兜率天上に生れぬ」とぞ云て、貴び讃けるとなむ語り伝へたるとや。