成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(22) 常は心地の悪しくこのごろもするにや顔も身も腫れて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 常は心地の悪しく、このごろもするにや、顔も身も腫れて、例ならず苦しう侍るにも、「死なむとするにこそは」と思ゆる心地、ともすればかき乱りて、われにもあらずかき乱るやうなるにも、「極楽に必ず参りなむ」とのみぞ、「泥(でい)の中の蓮(はちす)」と譬ひあれば、乱れたる心地なりとも、頼みて侍るなり。   はかりなき国を過ぎたる極楽も心の内は絶えぬとぞ聞く   うたた寝のほども忘れず極楽を夢にも見むと思ふ心も なほ、この唐(たう)の文(ふみ)のたよりに、ここに文のなき、いとおぼつかなく思えて、   おぼつかなふみ見てしがな極楽に降るらむ花の跡と思ひて 「極楽に必ず参りあへ」とありし、思ひ出でられて、   極楽の蓮(はちす)の上を待つほどにつゆのわが身ぞ置き所なき と思ひつつ、明かし暮しても、朝(あした)の日の、雲を払ひて出づるにも、「日にそへて作りけむ罪を、つゆも残さず消やし給へ」と念じ、夕べの月の光を見ても、「にやせん((霊山(りやうぜん)の誤りか。霊山は次の歌にでてくる鷲の山、すなわち霊鷲山のこと。))まで誘ひ給へ」と頼む。   鷲の山のどかに照らす月こそはまことの道のしるべとは聞け   朝日待つ露の罪なく消え果てば夕べの月は誘はざらめや とこそは頼み侍れ。 ===== 翻刻 ===== 地はへるつねは心地のあしくこのころ もするにやかほもみもはれてれいな らすくるしうはへるにもしなんとす るにこそはとおほゆる心地ともすれは かきみたりて我にもあらすかきみたる やうなるにもこくらくにかならすまい りなんとのみそていの中のはちすとた/s68l とひあれはみたれたる心ちなりともた のみてはへるなり はかりなきくにをすきたるこくらくも こころのうちはたえぬとそきく うたたねのほともわすれすこくらくを ゆめにもみむとおもふこころも 猶このたうのふみのたよりにここにふみ のなきいとおほつかなくおほえて おほつかなふみみてしかなこくらくに ふるらんはなのあととおもひて こくらくにかならすまいりあへとありし 思ひいてられて/s69r こくらくのはちすのうへをまつほとに つゆのわか身そおき所なき とおもひつつあかしくらしてもあしたの日 のくもをはらひていつるにも日にそへ てつくりけむつみをつゆものこさすき やし給へとねんしゆふへの月のひかり を見てもにやせんまてさそひ給へと たのむ わしのやまのとかにてらす月こそは まことのみちのしるへとはきけ あさ日まつ露のつみなくきえはては/s69l ゆふへの月はさそはさらめや とこそはたのみはへれ/s70r