成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(14) 日数もはかなく過ぎて六月になりぬ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 日数もはかなく過ぎて、六月になりぬ。 「三月ばかりに、まことに渡り給ひにけり」と聞きはてて、「今は身のたいもかくにこそは」と、いとあはれに、たぐひなかりける身の、宿世(すくせ)推し量られたるにも、昔、十五ばかりなりしほどに、「三河の入道((寂照・大江定基))といふ人渡る」とて、唐に率(ゐ)て奉る縫ひ仏、集まりて、人の見しに、「いかなる人ぞ」と人の言ひしに、「親を捨てて渡る。あはれ」など人言ひし、何とも思えざりし、今ぞ、「親、いかに」とあはれに。 これも、人はさこそは言ふらめ。いまぞ身を知るに、いみじう、「いかで」と思ひ出でらること多かりけるありさまの、「この世に生き給へらむに、生き会はずは、蓮(はちす)の上にてぞ」とのたまひし、「などて、ものも言はで、ただ泣き悲しむことのみして、出だしやり聞こえけむ」とぞ、悔しうわびしう思ゆる。 「ただ、とく死なむより、ほかの喜び、今はこの世にあるまじ」とのみぞ。少しも、「あはれなり」と思はむ人は、ただ、「とく死ね」と思ふべきなり。「極楽に参らむに」とは、さりとも思ひ侍るほどに、のたまへること、などて疑はむ。   疑ひの変らぬ道と聞きつるをわれしもことに何か歎かむ 残りて世にあらむ人、これを見て、他縁(たえん)に随ひて、功徳になるべからんことを、とぶらふべきなり。   すくれたる蓮(はちす)の上を願ふ身は人より先に急がるるかな 九品蓮台の蓮の上を願ひ侍る心なり。 ===== 翻刻 ===== ひかすもはかなくすきて六月になりぬ 三月許にまことにわたり給にけりと/s54r ききはてていまはみのたいもかくにこそはと いとあはれにたくひなかりける身のす くせおしはかられたるにもむかし十五 許なりしほとにみかはの入道といふ 人わたるとてたうにゐてたてまつる ぬひ仏あつまりて人のみしにいかなる人 そと人のいひしにをやをすててわたる あはれなと人いひしなにともおほえさ りしいまそをやいかにとあはれにこれも 人はさこそはいふらめいまそ身をしるに いみしういかてと思ひいてらることおほか/s54l りけるありさまのこの世にいきたまへら んにいきあはすははちすのうへにてそ とのたまひしなとてものもいはてたたなき かなしむことのみしていたしやりきこえ けむとそくやしうわひしうおほゆる たたとくしなんよりほかのよろこひいまは この世にあるましとのみそすこしもあは れなりとおもはん人はたたとくしねと 思ふへきなりこくらくにまいらんにとは さりとも思ひはへる程にの給へることな とてうたかはん/s55r うたかひのかはらぬ道とききつるを 我しもことになにかなけかん のこりて世にあらん人これをみてたえむ にしたかひてくとくになるへからんこと をとふらふへきなり すくれたるはちすのうへをねかふ身は 人よりさきにいそかるるかな 九品蓮たいのはちすのうへをねかひはへる こころなりされと猶このよのおほつかなさの/s55l