成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(12) 三月つごもりになりて二十七日雨いとおどろおどろしう・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 三月、つごもりになりて、二十七日、雨いとおどろおどろしう、天もかき暗したるに、「ただ今、船などにや阿闍梨(あざり)はおはすらん」、思ふもやすからず歎かし。仏をのみぞ念じ奉る。 人の来て、「周防の国におはしけり」と言へば、「さればこそ、船にてし歩(あり)き給ふにこそ」と、いとわびし。 「いかなる身の宿世にて、おいとては、かばかりの人の、すずろなる歩(あり)きをし給ふらん」と、「あさましく」と返す返す思ゆるも、思ひわづらひては、ただ西に向ひてながむるに、小野の宮といふ所に、高き木の、枝も見えず、蔦(つた)といふもののまつはれたるを見るに、木なども安き空なき見るに、   こずゑにも安き空なき身なりけりつたなきことも今は歎かじ 心の乱れてあるに、人の文に、「阿闍梨は、筑紫へ唐人(たうじん)尋ねにおはすとて、船に乗り給ひにけり」とあるに、「さればこそ」と心地も変りてぞ。 「さりぬべくは四月ばかり来む」と言ひ置かれし、思えて、涙のみぞこぼれまさる。   うらめしく漕ぎ離れぬるうき舟をのりの筏(いかだ)と頼みけるかな   思ひやるかたこそなけれあま小舟(をぶね)のり捨てらるるうらみする世に とのみ、うち独りごちて過ごす折りに、人の、「根芹(ねせり)」とて、持て来たるを見るに、   答へせば入江の芹に問ひてまし昔の人はいかが摘みしと/s53r ===== 翻刻 ===== ゑにこそはとのみ三月つこもりになりて 廿七日あめいとおとろおとろしう天もかきく らしたるにたたいまふねなとにやあ さりはおはすらん思もやすからすなけ かし仏をのみそ念したてまつる 人のきてすわうのくににおはしけりと いへはされはこそふねにてしありき 給ふにこそといとわひしいかなるみの/s51l すくせにておいとてはかはかりの人のすす ろなるありきをし給ふらんとあさま しくと返々おほゆるも思ひわつらひ てはたたにしにむかひてなかむるにをのの 宮といふ所にたかききのえたもみえ すつたといふもののまつはれたるを見る に木なともやすきそらなきみるに こすゑにもやすきそらなき身なりけり つたなきこともいまはなけかし こころのみたれてあるに人のふみにあさ りはつくしへたうしんたつねにおはすとて/s52r ふねにのりたまひにけりとあるにされは こそと心地もかはりてそさりぬへくは 四月はかりこんといひをかれしおほえて なみたのみそこほれまさる うらめしくこきはなれぬるうきふねを のりのいかたとたのみけるかな おもひやるかたこそなけれあまをふね のりすてらるるうらみするよに とのみうちひとりこちてすこすおりに人 のねせりとてもてきたるをみるに こたへせはいりえのせりにとひてまし/s52l むかしの人はいかかつみしと/s53r