成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(10) 月のいみじう明かきを見侍るに夜更けて入るに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 月のいみじう明かきを見侍るに、夜更けて入るに、月輪といふことの思えて、あはれに、   山の端に出で入る月もめぐりては心の内にすむとこそ聞け   出で入ると人目ばかりに見ゆれどもこしの山((「わしの山(霊鷲山)」の誤りか))にはのどかなりとか 空にて見まほしう侍りてぞ。 秋の末になりて、風凉しう、よろづのこと思ゆるほどに、治部卿殿((源隆国の長男隆俊か。))より綿を、「阿闍梨(あざり)なくて、かやうのもの要(えう)にや」とて、賜はせたるに、思え侍りし。   浦風の身にしむあまの釣舟かわたの原にぞ島がくれゐる されど御返しには、書かずなりにき。 また、肥前(ひぜ)の北の方((肥前国守の夫人。肥前国守は藤原定成か。))の、国より、長か絹・細き布など、縫ひくくみありしにも、   あま小舟(をにね)のりは誰にとうらむるにきぬとと知らする人ぞ嬉しき これも、返り事には書かず。「昔ありける藤六(とうろく)((藤原輔相))と言ひける者こそ、かやうなることは言ひけれ」と思えしかば、とどめてき。 さるは、異事(ことご)との思えぬままに、幼き者の、草子の中に葵(あふひ)を入れたりけるに、枯れたるを取り出でて、「これ御覧ぜよ」と言ふに、思え侍りける。   祈りつつ神にかけてしかひもなくあふひ知られぬ恋をこそすれ と言はるる。 ===== 翻刻 ===== とこそはたのみてすくしはへれ月の いみしうあかきを見侍によふけて/s48l いるに月りんといふことのおほえて あはれに やまのはにいているつきもめくりては こころのうちにすむとこそきけ いていると人めはかりにみゆれとも こしのやまにはのとかなりとか そらにて見まほしうはへりてそあき のすゑになりて風すすしうよろつの ことおほゆるほとにちふ卿とのよりわた をあさりなくてかやうのものえう にやとてたまはせたるにおほえ侍りし/s49r うら風の身にしむあまのつりふねか わたのはらにそしまかくれゐる されと御返にはかかすなりにきまたひせ のきたのかたのくによりなかかきぬほそきぬ のなとぬひくくみありしにも あまをふねのりはたれにとうらむるに きぬととしらする人そうれしき これも返事にはかかすむかしありける とうろくといひけるものこそかやうな ることはいひけれとおほえしかはととめてき/s49l さるはことことのおほえぬままにおさなき もののさうしの中にあふひをいれたり けるにかれたるをとりいててこれ御覧せよ といふにおほえはへりける いのりつつ神にかけてしかひもなく あふひしられぬこひをこそすれ といはるるさるはみのおもはすなる有さま/s50r