成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(8) 例のわれにもあらずながら日ごろ過ぐるほどに霜月にぞ御文ある・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 例のわれにもあらずながら、日ごろ過ぐるほどに、霜月にぞ御文ある。見れば、「十月二十日ぞ、備中の新山といふ所に詣(ま)で来たる。正月のほどに人おこせむ」とあり。「さりぬべくは、みづからも来む」とぞあるを、「もしや」と人知れず待つに、見えず。 岩倉の僧たち、「御迎へにも、試みに」とて、正月十四日下るにぞ、文付けて奉る。そののち、待ち暮し明かすに、「徒歩(かち)より参る」と言ひし者ぞ帰りたる。 二月十四日の文、「これは備中より遠き、安芸の国といふ所に詣(ま)で来たり。唐人、有り無し聞きて、四月に京には上らむ」とぞある。「こたみぞ、まことに『たよりあらば渡りなむ』と思ひ給へる」と思ひはてて、言ふべき方なき心地のみして、何事にか慰み侍らむ。 この、来たる者の、「船に乗り給ひしを見て来し」と言ひしかば、   この岸を漕ぎ離れぬる船なればうらみやるべきかたも知られず 思へども、思へども、「世にたぐひなき心付きたる人かな」とのみ、恨めしく思え侍るも、あまりの命長き身、恥づかしうぞ。   つらかりし去年(こぞ)の歎きにいとどしくこのめはるかになると聞くかな 「今はただ、死なむのみこそ、嬉しきことにてはあるべかんめれ」とぞ思え侍る。 「この二月二十四日、彼岸といふほどに」など聞けば、日の西の方にうるはしき折、拝まむとし侍るに、二月一日、いたく曇りて待ち暮しも、空さへ心憂くと思えて、   わがためは拝む入り日も雲隠れ長き闇こそ思ひやらるれ ===== 翻刻 ===== れいの我にもあらすなから日ころすくる ほとにしもつきにそ御文ある見れは 十月廿日そひ中のにひ山といふ所にまて きたる正月のほとに人おこせんとあり さりぬへくはみつからもこんとそあるを もしやと人しれすまつにみえすい はくらのそうたち御むかへにもこころみ にとて正月十四日くたるにそ文つけ/s45r てたてまつるそののちまちくらし あかすにかちよりまいるといひしものそ かへりたる二月十四日のふみこれはひ 中よりとをきあきの国といふ所に まてきたりたうしんありなしきき て四月に京にはのほらんとそあるこ たみそまことにたよりあらはわたり なんと思ひたまへるとおもひはてていふ へき方なきここちのみしてなに ことにかなくさみはへらんこのきたる/s45l もののふねにのりたまひしを見 てこしといひしかは このきしをこきはなれぬるふねなれは うらみやるへきかたもしられす おもへともおもへともよにたくひなき心つきたる ひとかなとのみうらめしくおほえはへ るもあまりのいのちなかき身はつかしうそ つらかりしこそのなけきにいととしく このめはるかになるときくかな いまはたたしなんのみこそうれしき事/s46r にてはあるへかんめれとそおほえはへる この二月廿四日ひかんといふほとになと きけは日のにしのかたにうるはしき をりおかまんとしはへるに二月一日い たくくもりてまちくらしもそら さへこころうくとおほえて 我ためはおかんいり日もくもかくれ なかきやみこそ思ひやらるれ/s46l