成尋阿闍梨母集 ====== 二巻(3) 年ごろ思ふことなくて世の中騒がしと言へば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 年ごろ、思ふことなくて、世の中騒がしと言へば、「この君だち、いかが」と思へど、かばかり行ひ勤めつつおはさうずれば、それも頼もしう侍りつるほどに、多くの年ごろあり、かくたぐひなき心つき給へりける阿闍梨(あざり)の心やうになるまであひたるも、あまりの命長さの罪にぞ思え侍る。 「今は、もし、立ち寄りおはしたりとも、それまで世に生きて侍らじ」と、今日にても失せぬべく思え侍るなり。   歎きわび絶えむ命は口惜しくつゆ言ひ置かむ言の葉もなし と思ふほどに蝉鳴く。おどろおどろしき声ひきかへ、道心おこしたる、「くつくつ法師」と鳴くも、むなしき殻こそは梢(こずゑ)にはとどめむずらめ。それにも劣りて、この身には影だにも見えず。 あはれに尽きせぬ涙、こぼれ落つるに、人の来て言ふ。「筑紫より夜(よ)べまで来たる人の、『八月二十日宵のほどに、阿闍梨は、『唐に渡り給ひなむ』とて、船に乗るべきやうにておはすとききし』と申す」と言へど、「文などもあらばこそは。まことにやあらむ、虚言(そらごと)にやあらむ」と、胸ふたがりて、いとどしく、あはれに悲しうて、   よどみなく涙の川はながるれど思ひぞ胸をやくとこがるる ===== 翻刻 ===== なとひとりこちつつとしころ思ふことな くて世中さはかしといへはこの君た ちいかかとおもへとかはかりおこなひつと めつつおはさうすれはそれもたのも しうはへりつるほとにおほくのとし ころありかくたくひなきこころつき 給へりけるあさりの心やうになるま/s33r てあひたるもあまりのいのちなかさの つみにそおほえはへるいまはもした ちよりおはしたりともそれまてよ にいきてはへらしとけふにてもうせ ぬへくおほえはへる也 なけきわひたえんいのちはくちをしく つゆいひおかんことのはもなし とおもふほとにせみなくおとろおとろしき こゑひきかへ道心おこしたるくつくつ 法師となくもむなしきからこそは/s33l こすゑにはととめんすらめそれにもお とりてこのみにはかけたにも見え すあはれにつきせぬなみたこほれ おつるに人のきていふつくしよりよへ まてきたる人の八月廿日よひのほとに あさりはたうにわたり給ひなんとて ふねにのるへきやうにておはすときき しと申すといへと文なともあらは こそはまことにやあらんそらことに やあらんとむねふたかりていととしく/s34r あはれにかなしうて よとみなくなみたのかははなかるれと おもひそむねをやくとこかるる/s34l