成尋阿闍梨母集 ====== 一巻(9) 三月五日夜の夢に御方例ならずおはすと見えしかば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 三月五日、夜の夢に、「御方、例ならずおはす」と見えしかば、「何ごとにか」と、いとおぼつかなく、人知れぬ命はいとどつすれど((底本「つ」に「本」と傍書))、返す返すおぼつかなくのみぞ。 心地、いと悪しく、「なほ、しばしえ長らふまじきにや」と思ゆれど、「帰りおはしたらむをみたらむ時、いかならむ」とぞ思えて、「何ごとかたとへて、慰めむ」とのみ。   行き返りかりこま山をまつほどにははその森は散りや果てなむ   敷島や山はたのみもあるものを露降り捨つる小笹原かな   うらみわび海士(あま)も涙に沈むかないづら浮木(うきぎ)の枝に会ふべき 心の乱れて念仏も数怠る心地すれば、   海人小舟(あまをぶね)のり取る方も忘られぬみるめなぎさのうらみするまに 夜さり、苦しうて、うち臥したれど、寝(ね)られねば、   阿弥陀仏(あみだぶ)の絶え間苦しき海人(あま)はただいを安くこそ寝(ね)られざりけれ   朝日待つ露につけても忘られず契りおきてし言の葉なれば   歎きつつはかなう過ぐる日数かなこれや羊の歩みなるらむ 独りごつにても、涙の珠の、やがて袖にかかれば、   袖のうらに涙の珠は走りつつあらはなれども知る人もなし   しひ止むるこの世にまたもあひ見ずはたまかけるとも誰かつぐべき 言ふべき方もなくぞ。 阿弥陀仏と 思ひて行けば 凉しくて すみ渡るなる そこよりぞ 九品(ここのしな)にて 蓮葉(はちすば)を 生ひのほかなる((冷泉家本「生ひのぼるなる」らしい)) 上葉こそ 露のわが身を 置きてむと 思ふ心し 深ければ この世につらき ことも歎かぬ   契り置きし蓮(はちす)の上の露にのみあひ見しことを限りつるかな 涙の珠を貫き落すやに((底本「や」に「本ママう落歟」と傍書。))、こぼれ落つれば、   消え返り露の命は長らへで涙のたまぞ留めわびぬる など、独りごつにも、誰かは知る人もなくてぞ、   歎きつつわが身はなきになり果てぬ今はこの世を忘れにしがな   世の憂きをつらきも知らでやみねかしあるにもあらずなりぬとならば   わが魂(たま)は行方も知らずなりにけりわれか人かとたどらるるまで   歎くにも言ふにもかひのなき身には出で入る息の絶ゆるをぞ待つ   呼子鳥(よぶこどり)身にそふ影に聞こえねどなぞやなぞやと言はれこそすれ 歎き暮らしたる夕暮れ、つねよりも面影に思え給へば、もの思えぬ心地に、おはしたる心地して、   恋ひわたる夕暮れ方の面影をたそがれ時と言ふにやあるらん 尽きせず、もののみ思ゆるに、人のおはしまして、「五月(いつつき)になりにけり」と言ふを聞くに、   別れ路のはかなく過ぐる日数かないづくにすべき涙ならぬに 阿闍梨のおはせざらむほど、「文(ふみ)おこせ、問ふべき人」と聞きし、音もせねば、   うらさびずふみ来こむものと聞きしかどいづら千鳥の跡の見えける 人の、「いかでかある」と問ひたるに、   言ふかたもなぎさにこそは海人小舟釣りのうけ縄たゆたひてふる   今はよもあた((天(あめ)の誤りか))の下にはあり経じと思ひなるにも降る涙かな ===== 翻刻 ===== 三月五日夜のゆめに御方れいならす おはすと見えしかはなにことにかとい とおほつかなく人しれぬいのちはい ととつ(本)すれと返々おほつかなくのみそ 心地いとあしく猶しはしえなからふ ましきにやとおほゆれとかへりおは したらむをみたらん時いかならんと そおほえてなにことかたとへてなく/s19l さめんとのみ ゆきかへりかりこま山をまつほとに ははそのもりはちりやはて南 しきしまや山はたのみもあるものを つゆふりすつるこささはらかな うらみわひあまもなみたにしつむかな いつらうききのえたにあふへき 心のみたれて念仏もかすおこたる心地 すれは あまをふねのりとるかたもわすられぬ/s20r みるめなきさのうらみするまに よさりくるしうてうちふしたれとねられ ねは あみたふのたえまくるしきあまはたた いをやすくこそねられさりけれ あさひまつつゆにつけてもわすられす ちきりおきてしことのはなれは なけきつつはかなうすくる日かすかな これやひつしのあゆみなるらん ひとりこつにてもなみたのたまのやかて/s20l そてにかかれは そてのうらになみたのたまははしりつつ あらはなれともしる人もなし しひとむるこのよにまたもあひみすは たまかけるともたれかつくへき いふへきかたもなくそ あみたふとおもひてゆけはすすしくて すみわたるなるそこよりそここのしな にてはちすはをおひのほかなるうはは こそつゆのわか身ををきてんと思ふ/s21r こころしふかけれはこのよにつらき こともなけかぬ ちきりをきしはちすのうへの露にのみ あひみしことをかきりつるかな なみたのたまをぬきおとすや(本ママう落歟)にこほれ おつれは きえかへりつゆのいのちはなからへて なみたのたまそととめわひぬる なとひとりこつにもたれかはしる人もなく てそ/s21l なけきつつわか身はなきになりはてぬ いまはこのよをわすれにしかな 世のうきをつらきもしらてやみねかし あるにもあらすなりぬとならは 我たまはゆくゑもしらすなりにけり われか人かとたとらるるまて なけくにもいふにもかひのなきみには いているいきのたゆるおそまつ よふことりみにそふかけにきこえねと なそやなそやといはれこそすれ/s22r なけきくらしたるゆふくれつねよりも おもかけにおほえ給へはものおほえぬ 心地におはしたる心ちして こひわたるゆふくれかたのおもかけを たそかれときといふにやあるらん つきせすもののみおほゆるに人のおはし ましていつつきになりにけりといふをきくに わかれちのはかなくすくる日かすかな いつくにすへきなみたならぬに あさりのおはせさらんほとふみおこせ/s22l とふへき人とききしおともせねは うらさひすふみこん物とききしかと いつらちとりのあとの見えける 人のいかてかあるととひたるに いふかたもなきさにこそはあまをふね つりのうけなはたゆたひてふる いまはよもあたのしたにはありへしと おもひなるにもふるなみたかな/s23r