成尋阿闍梨母集 ====== 一巻(6) 筑紫には生の松原ありと聞きて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 筑紫には、生(いき)の松原ありと聞きて、   音に聞く生の松原名にし負はば行きかふ人も万代(よろづよ)ぞ経む 竃門山(かまどやま)といふ所もあんなれば、   思ひやる心を知らば竃門山はるけき道も照りぞ渡らむ 人々、「津の国といふ所におはしぬらん」と言へば、   葦間(あしま)行く船もさはらず漕ぎてぬと聞けば難波の恨めしきかな 天をながむるに、青く見えわたれば、   かの岸を思ひやりてぞ青□□□((この行数文字欠文。底本、「本ニ心えずとあり本ママ」とある。))このかたをながむる 三・四日ありて、「今は、肥前の児島などにや」と言へば、   その方に漕ぎ行く船のわれならばかれはこじまとなぐさめてまし 「必ず帰らむず。そのほど生き給へ」とありし、思ひ出でられて、   かりにても見るめなきさのつらけれはしほりわひぬるあまのそてかな この宮阿闍梨((永覚阿闍梨か。))(みやあざり)の文、見侍るにも、   川と聞く涙に浮ぶ悲しさに下り立つ身をばせきぞかねつる とぞ思え侍る。天王寺別当(べたう)宮の阿闍梨、この阿闍梨((成尋))の御もとに、あはれなることども書きて、端書(はしがき)に、   悲しみの涙の川に浮ぶかな流れ会はばや法(のり)の海にて 返し、   悲しみの涙を寄する法の海の一つ岸をば住みも離れじ この仁和寺(にわじ)の松風、ときはにのみ吹きて、いとどものあはれにのみぞ。   別れ路の心や空に通ふらむ人まつ風の絶えず吹くかな と、独りごちて、日ごろになるにも、もののみ悲しう、「死なましかば」とのみ。   命だに心にかなふ身なりせば遠ざかりゆく日数経(へ)ましや ===== 翻刻 ===== つくしにはいきのまつはらありとききて おとにきくいきのまつはらなにしおはは ゆきかふ人もよろつよそへん かまとやまといふところもあんなれは/s13l おもひやるこころをしらはかまとやま はるけきみちもてりそわたらん 人々つのくにといふ所におはしぬらんといへは あしま行ふねもさはらすこきてぬと きけはなにはのうらめしきかな 天をなかむるにあをくみえわたれは かのきしを思ひやりてそあを(本ニ心えすとあり本ママ) このかたをなかむる 三四日有ていまはひせんのこしまなとにやと いへは/s14r そのかたにこき行ふねのわれならは かれはこしまとなくさめてまし かならすかへらんすそのほといきたまへと ありし思ひいてられて かりにても見るめなきさのつらけれは しほりわひぬるあまのそてかな このみやあさりのふみみはへるにも かはときくなみたにうかふかなしさに おりたつ身をはせきそかねつる とそおほえ侍天王寺へたう宮のあさり/k14l このあさりの御もとにあはれなることとも かきてはしかきに かなしみのなみたのかはにうかふかな なかれあははやのりのうみにて かへし かなしみのなみたをよするのりのうみの ひとつきしをはすみもはなれし このにわしのまつ風ときはにのみふきて いととものあはれにのみそ わかれちのこころやそらにかよふらん/k15r ひとまつかせのたえすふくかな とひとりこちて日ころになるにももの のみかなしうしなましかはとのみ いのちたに心にかなふ身なりせは とをさかりゆく日かすへましや/k15l