成尋阿闍梨母集 ====== 一巻(5) その朝文おこせ給へるつらけれど急ぎ見れば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== その朝(あした)、文(ふみ)おこせ給へる。つらけれど、急ぎ見れば、「夜(よ)のほど、何事か。昨日の御文見て、夜もすがら、涙も止まらず侍りつる」とあり。見るに、文字もたしかに見えず、涙のひまもなく過ぎて見ず。 からうじて、起き上がりて見れば、仁和寺(にわじ)の前に、梅の、木にこぼるばかり咲きたり。居る所など、みな、し置かれたり。 心もなきやうにて、何方(いづかた)西なども思えず。目も霧渡り、夢の心地して、暗らしたる、またの朝、京より人来て、「今宵の夜中ばかり、出で給ひぬ」と言ふ。起き上がられで、言はむ方なく悲し。 またの朝に文あり。目も見開けられねど、見れば、「『参らむ』と思ひ侍れど、夜中ばかりに詣(ま)で来つれば、返す返す静心(しづごころ)なく」とあり。目も暗れて、心地もまどふや((底本「本ママう落歟」と傍書。))なるに、送りの人々、集まりて慰むるに、ゆゆしう思ゆ。 やがて、「八幡(やはた)と申す所まで、船に乗り給ひぬ」と聞くにも、おぼつかなさ、言ふ方なき。   船出する淀の御神(みかみ)も浅からぬ心をくみて守りやらなむ と、泣く泣く思ゆる。 「あさましう、『見じ』と思ひ給ひける心かな。あさましう」と、心憂きことのみ思ひ過ぐししかば、また、「この人の、まことに『せむ』と思ひ給はんこと、たがへじ」など、思ひしことの、あまりに従ひて、かかることも、いみじけに泣き妨げずなりにし、この日ごろの過ぐるままに悔しく、「手をひかへても、居てぞあるべかりける」と悔しく、涙のみ目に満ちて、ものも見えねば、   しひて行く船路を惜しむ別れ路に涙もえこそ留めざりけれ ===== 翻刻 ===== そのあしたふみおこせたまへるつらけれと いそきみれはよのほとなにことかきのふ の御文みてよもすからなみたもとまらす はへりつるとありみるにもしもたし かに見えすなみたのひまもなくすきて みすからうしておきあかりてみれは にわしのまへに梅の木にこほるはかり さきたりゐる所なとみなしおかれたり/s12r 心もなきやうにていつ方にしなと もおほえすめもきりわたりゆめの 心ちしてくらしたるまたのあした京よ り人きてこよひのよ中はかりいて 給ひぬといふおきあかられていはん方 なくかなし又のあしたにふみあり めも見あけられねとみれはまいらん とおもひはへれとよ中はかりにまて きつれは返々しつこころなくとあり めもくれて心ちもまとふや(本ママう落歟)なるにおく りの人々あつまりてなくさむるに/s12l ゆゆしうおほゆやかてやはたと申所まて ふねにのり給ひぬときくにもおほつ かなさいふ方なき ふなてするよとのみ神もあさからぬ 心をくみてまもりやら南 となくなくおほゆるあさましうみしと 思ひ給ける心哉あさましうとこころう きことのみ思ひすくししかはまたこの 人のまことにせんと思ひ給はんことた かへしなと思ひしことのあまりに したかひてかかることもいみしけに/s13r なきさまたけすなりにしこの日ころの すくるままにくやしくてをひかへても ゐてそあるへかりけるとくやしく なみたのみめにみちて物も見えねは しゐて行ふなちををしむわかれちに なみたもえこそととめさりけれ/s13l