成尋阿闍梨母集 ====== 一巻(3) 二年ばかりありてのどやかに物語しつつ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 二年(ふたとせ)ばかりありて、のどやかに物語しつつ、「このふさしく((底本「ふさしく」に傍書「本ニ本と」))居たる行ひ三年果てて、唐に五臺山((五台山))といふ所に、文殊のおはしましける跡の、ゆかしく拝ままほしく侍るを、年ごろ宿曜(すくえう)に言ひたることの、必ずかなふを、『六十一、慎しむべし』と言ひたるを、若く侍りしより、思ひしことは、『のどかに行ひして、人騒がしからざらん所にあらむ』と思ひしを、いままでかくて侍りつるを、年老い入り((底本「おいり」で「本ママ」と傍書。))、同じくは、死なぬ先に思ふことせまほしきを、唐に五臺山といふ所に、文殊の御跡をだに拝みて、もし、生きたらば帰り詣(ま)で来む。失せなば、必ず極楽をあひ見、拝み奉るべきことを思はむ」とのたまふに、「さは、まことに思ひ立ち給ふことにこそ」と聞くに、ものも言はれず、あさましう胸ふたがりて、いらへもせられねば、帰り給ひぬ。 げに思ゆること、「その三年過ぐるまで、生きてかの唐の出で立ち見じ。今日・明日までも死なむ」など、思ひなぐさめて、年ごろ過ぐし侍りつるを、三年過ぎて、この唐渡りのこと、まことになるほどに、仏の御具ども、幡(はた)や何やと、人々して急がせ給ふ。夢の心地して、「こはいかに」と思ゆるほどにおはしたり。 「申ししやうに、唐に渡りて、久しき定三年、さらずは、それより近くも詣(ま)で来なむ。生き給ひたらば、見もし、失せ給ひなば、極楽に必ずあひ見むとせむ」とのたまふに、のちの仏にならんも、極楽の心にかけたるも忘られて、胸せくやうに思え、涙もとどまらず、むせ返るに、ものも言はねば、立ち給ひぬ。 ===== 翻刻 ===== て思さまにてはへるふたとせはかり ありてのとやかにものかたりし つつこのふ(本ニ本と)さしくゐたるおこなゐ 三年はててたうにこたい山といふとこ ろに文殊のおはしましけるあとの ゆかしくおかままほしくはへるをと しころすくえうにいひたることのかな らすかなふを六十一つつしむへしと いひたるをわかくはへりしより思ひ しことはのとかにおこなひして人/s7l さはかしからさらん所にあらんと思ひしを いままてかくて侍つるをとしおいり(本ママ)おな しくはしなぬさきに思ふことせまほ しきをたうにこたい山といふ所に文殊 の御あとをたにおかみてもしいきたらは かへりまてこむうせなはかならすこく らくをあひ見おかみたてまつるへき ことをおもはむとのたまふにさはま ことに思ひたちたまふことにこそとき くにものもいはれすあさましうむね/s8r ふたかりていらへもせられねはかへり給ひぬ けにおほゆることその三年すくるまて いきてかのたうのいてたち見しけふあ すまてもしなむなと思ひなくさめて としころすくし侍つるを三年すきて このたうわたりのことまことになる ほとに仏の御くともはたやなにやと人々 していそかせたまふゆめの心ちして こはいかにとおほゆるほとにおはしたり 申ゝやうにたうにわたりてひさしき 定三年さらすはそれよりちかくも/s8l まてきなんいき給たらはみもしうせ 給ひなはこくらくにかならすあひみん とせんとのたまふにのちの仏にならんも こくらくのこころにかけたるもわすられて むねせくやうにおほえなみたもととま らすむせかへるにものもいはねはたち たまひぬ二月十六日かとてし給とて/s9r