成尋阿闍梨母集 上巻 ====== 一巻(2) 子は二人ぞ律師・阿闍梨にて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 子は二人ぞ。律師(りし)((仁和寺の律師成尊か))・阿闍梨(あざり)((成尋))にて、心ばへより始め、めでたく、たぐひあらじと思えて、ものし給ふ。 朝夕に嬉しきことにて、年月あつかはれ、過ぐして侍るに、阿闍梨、世の中にいたく仕へ、修法(すほふ)なども、ここかしこ、ひまなくしつつ、苦しき折々は、ともすれば、「心のどかに、行ひなどして侍らばや」と云ひわたり給ふに、世の中めでたく、世を久しく保たせ給ひつる関白殿((藤原頼通))、年いたう積らせ給ひて、宇治殿((平等院))とて、めでたき堂、極楽などのあらむやうにして、こもり居させ給ひて、行幸せさせ給ひ、めでたきことどもして御覧じ、おもしろく聞こゆること限りなし。 さて、しばしありて、宇治殿、悩ませ給ふに、「老いさせ給ふけにこそは」と、人々思ひたるに、「御門((後冷泉天皇))、例ならずおはします」と聞こゆ。 阿闍梨は宇治殿へ参りなどし給ふに、また、内の御修法とし、道を中にて歩(あり)き、おほかそうのいとまなく、騒がしくて過ぐるほどに、いとほしう苦しげに、そこらの御修法、仁和寺(にわじ)の宮((性信法親王。三条天皇皇子師明親王。大御室ともいわれる。))と申すも参らせ給へるに、宇治殿、「良き人あまた候ひ給ふほどに、しばし」と召せば、参り給ひぬる。 日ごろのほどに、「御門、いたく悩ませ給ひて、騒ぐ」と聞くほどに、「失せさせ給ひぬ」と人々言ふ。夢のやうにあはれに侍りしものかな。 「宇治殿は、怠らせ給ひて」とて、宇治殿より、阿闍梨、帰り給ひて、「あさましう、夢のやうにも侍る世かな。限りなき御身にも、世のはかなさは、かくこそは」とて、「年ごろよりも、なつかしう召し使はせたまへることの思ひ出で侍るも、いとこそあはれに」と((「と」底本なし。脱字とみて補う。))、ともすれば申し出でつつ、過ぐし給ふ。 四月に御門失せさせ給ひて、七月の一日の日、岩倉((成尋の住む大雲寺の所在。現在の京都市左京区。))に入りぬ。 「そこに入りて、念仏もせよかし」とあれば、喜びて、入りて、近き所にて見通はして、思ふさまにて侍る。 ===== 翻刻 ===== 侍まほしうて子はふたりそりし あさりにて心はへよりはしめめてたく たくひあらしとおほえてものした まふあさゆふにうれしきことにて/s5r とし月あつかはれすくしてはべるに あさり世中にいたくつかへす法なと もここかしこひまなくしつつくる しきおりおりはともすれは心のとかに をこなひなとしてはへらはやといひ わたりたまふに世中めてたく世を ひさしくたもたせ給ひつる関白殿と しいたうつもらせ給ひてうちとのとて めてたきたうこくらくなとのあらん やうにしてこもりゐさせ給ひて行幸/s5l せさせ給めてたきことともして御覧し おもしろくきこゆることかきりなし さてしはしありてうち殿なやませ たまふにおいさせたまふけにこそは と人々おもひたるにみかとれいな らすおはしますときこゆあさり はうち殿へまいりなとし給に又 うちの御す法とし道をなかにてあ りきおほかそうのいとまなくさは かしくてすくるほとにいとをしう/s6r くるしけにそこらの御す法にわし の宮と申すもまいらせたまへるにう ちとのよき人あまた候たまふほとに しはしとめせはまいりたまひぬる 日ころのほとにみかといたくなやませ 給ひてさはくときくほとにうせさ せたまひぬと人々いふゆめのやうに あはれに侍りしものかなうちと のはおこたらせ給ひてとてうちとの よりあさりかへりたまひてあさま/s6l しうゆめのやうにも侍よかなかきり なき御身にもよのはかなさはかくこそ はとてとしころよりもなつかしう めしつかはせたまへることのおもひいて はへるもいとこそあはれにともすれは 申いてつつすくしたまふ四月にみかと うせさせ給ひて七月のついたちの日 いはくらにいりぬそこにいりて念 仏もせよかしとあれはよろこひて いりてちかきところにて見かよはし/s7r て思さまにてはへるふたとせはかり/s7l