十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の71 鳥羽院の御時十楽講のついでに御遊ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 鳥羽院((鳥羽天皇))の御時、十楽講のついでに御遊ありけり。夜更くるままに、つねよりもおもしろかりければ、敦兼刑部卿((藤原敦兼))の子ども、季兼((藤原季兼))・季行((藤原季行))弟兄(おととひ)、篳篥(ひちりき)吹きて候ひける。 つねの音取りにも似ず、調子のやうなるものを、同音に吹き合はせたりけり。人々、ものの音をとどめて、耳をかたぶけけるほどに、ある人、笛にて、胡老子といふ楽を吹き出だしたりけるによりて、ことさめてけり。 「篳篥の、小調子といふ秘曲を吹かむとするけすらひを知らで、ことをさまし給へる、長き世の恥なり」とぞ、ある人、申しける。 さやうの庭に候ふほどの笛吹きにて、さる不覚やせらるべきなれども、これは管絃の道をよくかよはして、知らざるがいたすところなり。すべては、わがせぬわざなりとも、「さることあり」とは必ず心知るべきことなり。 ===== 翻刻 ===== 七十三鳥羽院御時十楽講ノ次ニ御遊有ケリ、夜フクルママニ 常ヨリモ面白カリケレハ、敦兼刑部卿ノ子共季兼季 行オトトヒ篳篥吹テ候ケル、常ノ音トリニモ似ス調 子ノ様ナル物ヲ同音ニ吹合セタリケリ、人々物ノ音ヲ トトメテ、耳ヲカタフケケルホトニ、或人笛ニテ胡老子ト 云楽ヲ吹出タリケルニヨリテ、事サメテケリ、篳篥ノ 小調子ト云秘曲ヲ吹トスルケスラヒヲ、シラテ事ヲサ/k119 マシ給ヘル、ナカキ世ノ恥ナリトソ或人申ケル、サヤウノ 庭ニ候程ノ笛吹ニテ、サル不覚ヤセラルヘキナレトモ、是ハ 管絃ノ道ヲヨクカヨハシテ不知カイタス所也、スヘテハ 我セヌワサナリトモ、サル事有トハ必心シルヘキ事ナリ、/k120