十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の68 行成道風が跡を継ぎてめでたき能書なりけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 行成((藤原行成))、道風((小野道風))が跡を継ぎて、めでたき能書なりけり。いまだ殿上人のころ、殿上にて扇合といふことありけるに、人々、珠玉を飾り、金銀を磨きて、「われ劣らじ」といとなみあへりけり。 かの卿は、黒く塗りたる細骨(ほそほね)のたけ高きに、黄なる紙貼りて、楽府の要文を、真草うちまぜて、ところどころ書きて出だされたりけるを、召して御覧じて、「これこそ、いづれにもすぐれたれ」とて、御文机に置かれける。 かの卿の孫に、帥中納言伊房((藤原伊房))とておはしけるにも、いみじき手書きなりけり。春日大明神の示現によりて、すずろに、「御経蔵」といふ額を一枚書きて置き給ひたりけれども、ただ今打つべき経蔵もなければ、「あるやうあらむ」とて、置きたりけるほどに、帥も失せ給ひて後、はるかに((底本「遥遥」。「遥ニ」の誤りとみて訂正。))年経てのち、思ひのほかに、公家よりこの社に一切経を安置し参らせられける時、「誰か額をば書くべき」と沙汰ありけるに、この帥の子孫の中より、「かかることありて、かの帥、書き置ける額あり」とて、えり出だされたりけるを、打たれたるに、神慮にかなひ給ふまでありけること、やんごとなく思ゆる。 昔、佐理卿((藤原佐理))、大弐の任果てて、上られける道にて、伊予国三嶋明神の託宣ありて、かの社の額を書かれたりけるも、めでたかりけり。 ===== 翻刻 ===== 七十行成道風カ跡ヲ継テ、目出キ能書ナリケリ、イマタ殿 上人ノ頃、殿上ニテ扇合ト云事アリケルニ、人々珠玉ヲカ サリ金銀ヲミカキテ、我ヲトラシトイトナミアヘリケリ、 彼卿ハ黒クヌリタルホソホネノタケタカキニ、黄ナル紙 ハリテ、楽府ノ要文ヲ真草ウチマセテ、所々書テ出サ レタリケルヲ、召テ御覧シテ、是コソイツレニモ勝レタレ トテ、御文机ニ被置ケル、彼卿ノ孫ニ帥中納言伊房ト テオハシケルニモ、イミシキ手書ナリケリ、春日大明神 ノ示現ニヨリテ、ススロニ御経蔵ト云額ヲ一枚書テ/k114 ヲキ給タリケレトモ、只今ウツヘキ経蔵モナケレハ、ア ル様アラムトテヲキタリケルホトニ、帥モウセ給テ後、遥 遥年経テ後、思ノ外ニ公家ヨリ此ノ社ニ一切経ヲ安置 シマヒラセラレケル時、誰カ額ヲハ書ヘキト沙汰有ケ ルニ、此帥ノ子孫ノ中ヨリ、カカル事有テ彼帥カキヲケ ル額有トテエリ出サレタリケルヲウタレタルニ、神慮ニ 叶給マテ有ケル事ヤンコトナク覚ル、昔佐理卿大弐任 ハテテノホラレケル道ニテ、伊与国三嶋明神ノ託宣ア リテ、彼社ノ額ヲカカレタリケルモ、目出タカリケリ、/k115