十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の48 三河守定基志深かりける女のはかなくなりにければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 三河守定基((大江定基))、志深かりける女の、はかなくなりにければ、世を憂きものに思ひ入りたりけるに、五月の長雨のころ、ことよろしきさまなる女の、いたうやつれたりけるが、鏡を売りて来たりけるを、取りて見るに、包み紙に書けりける、   今日のみと見るに涙のますかがみなれにし影を人に語るな これを見るに、涙とどまらず。鏡をば返して、さまざまにあはれみけり。道心をいよいよ固めけるは、このことによりてなり。 出家ののち、寂照上人とて、入唐しけり。かしこにては、円通大師とぞ申しける。清涼山の麓にて、往生をとげける時、詩を作れりける。   笙歌遥聴孤雲上   聖衆来迎落日前 ただし、この詩、保胤((慶滋保胤))作れりといふ。たづぬべし。 ある説にいはく、この人は唐土の峨眉山に、寂照といひける聖の後身なり。師と法門の義を論 じて、「われは勝れり」と思ひて、入滅したりけるが、その執によりて、往生をとげず、日本に生れたりけるなり。入唐したりければ、峨眉山の寂照の影に少しも違はざりけり。人、帝に申しけるとなん。 さりければにや、俗にてありける時より、頭光あらはして見えけり。 ===== 翻刻 ===== 五十二三河守定基、志フカカリケル女ノ、ハカナクナリニケレハ、世ヲ ウキ物ニ思入タリケルニ、五月ノナカアメノ比、事ヨロシキ サマナル女ノ、イタウヤツレタリケルカ、鏡ヲウリテ来タリ ケルヲ、取テ見ニ、ツツミカミニカケリケル、 ケフノミトミルニ泪ノマスカカミ、ナレニシカケヲ人ニカタルナ、/k85 是ヲミルニ涙トトマラス、鏡ヲハカヘシテ、サマサマニ哀ミケリ、 道心ヲイヨイヨカタメケルハ、此事ニヨリテナリ、出家ノ後 寂照上人トテ入唐シケリ、彼ニテハ円通大師トソ申 ケル、清涼山ノ麓ニテ、往生ヲ遂ケル時詩ヲ作レリケル、 笙歌遥聴孤雲上、聖衆来迎落日前 但此詩保胤作レリト云、タツヌヘシ、或説云、此人ハ唐土ノ 娥眉山ニ寂照ト云ケル聖ノ後身ナリ、師ト法門ノ義ヲ論 シテ、我ハ勝サレリト思テ入滅シタリケルカ、其執ニヨリテ 往生ヲ遂ス、日本ニ生タリケルナリ、入唐シタリケレハ、娥 眉山ノ寂照ノ影ニ少シモ不違ケリ、人御門ニ申ケルト/k86 ナン、サリケレハニヤ、俗ニテ有ケル時ヨリ、頭光アラハシテ見 エケリ、/k87