十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の18 浄御原天皇吉野川のほとりに御幸して琴を弾き給ふ時・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 浄御原天皇(きよみはらのてんのう)((天武天皇))、吉野川のほとりに御幸して、琴を弾き給ふ時、神女、これにめでて、あまくだりて((底本「あまくりて」。諸本により訂正。))舞ひけり。その曲五返(かへり)、これを五節と名づけて、豊の明の節会とて、年々絶えず、今に行はる。舞姫といふは、かの神女をうつせるなり。 舞ひける時の歌いはく、 をとめごがをとめさびすもから玉ををとめさびすもそのから玉を をとめは、「未通女」と書けり。いまだ幼き心なり。「をとめごが袖振山(そでふるやま)」と吉野山をいふも、これより始まる。 ===== 翻刻 ===== 十七浄御原天皇吉野川ノ辺ニ御幸シテ琴ヲ引給時、神 女是ニメテテアマタクリテ舞ケリ、其曲五カヘリ、是ヲ五 節ト名テ、豊ノ明ノ節会トテ、年々タエス、今ニヲコナハ ル、舞姫ト云ハ、彼神女ヲウツセルナリ、舞ケル時ノ哥云、 オトメコカオトメサヒスモカラタマヲ、オトメサヒスモソノカラ玉ヲ オトメハ未通女トカケリ、イマタオサナキ心也、オトメコカソ/k55 テフル山ト吉野山ヲ云モ是ヨリ始ル、/k56