十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の1 中納言右衛門督伊陟卿は二品中務卿兼明親王の御子なり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 中納言右衛門督伊陟卿((源伊陟))は、二品中務卿兼明親王の御子なり。村上((村上天皇))の御時、近く召し仕ふるあひだ、主上、仰せられていはく、「故宮は常に何ごとをかせられし」。伊陟、「『うさぎのかはころも』とかや申すものをこそ、常はもてあそばれ侍りしか」と申されければ、「さだめて伝へられたらん。一見せばや」と仰せごとあり。 「やすく候ふ」とて、後日に封付きける文を、一巻持て参られたり。主上は「裘(かはごろも)などにや」と思しめしけるに、文なり。開き御覧じけるに、「君昏民諛、無所于訴((君昏(くら)く、民諛(へつら)ひて、訴ふるに所無し))」といふ句あり。 文盲のあひだ、これを知らず、取り出だし給へりけり。 さる才芸の人の御子にも、かかる人はおはしましけり。「菟裘賦((作者は兼明親王))」といふ名をだにも知り給はざりけるにや。 ===== 翻刻 ===== 一中納言右衛門督伊陟卿ハ二品中務卿兼明親王ノ御子也、 村上ノ御時、近ク召仕ル間、主上仰ラレテ云、故宮ハ常ニ何/k36 事ヲカセラレシ、伊陟ウサキノカハコロモトカヤ申物ヲコ ソ常ハモテアソハレ侍シカト申サレケレハ、定テ伝ヘラ レタラン一見セハヤト仰事アリ、ヤスク候トテ、後日ニ封 付ケル文ヲ一巻モテマイラレタリ、主上ハ裘ナトニヤト 思食ケルニ文也、ヒラキ御覧シケルニ、君昏ク民諛テ無 所于愬ト云句アリ、文盲ノアヒタ是ヲ不知取出給ヘ リケリ、サル才芸ノ人ノ御子ニモ、カカル人ハオハシマシケリ、菟 裘賦ト云名ヲタニモシリ給ハサリケルニヤ、/k37